開運 ついてないぜと苦笑い 再 お手上げ

昨晩は22時よりNスぺ(→新型コロナウィルス 特設サイト)。

中等症Ⅱというレベルの患者を「お断り」(入院調整中)しいてる病院の当惑を冒頭から。

病院のキャパを超えている現実「救える命が救えない」実態というものを視聴しました。

自宅待機から4日後には重症化。ただ苦痛を堪えるだけの様ですがお国のお偉いさん方だけがお気楽なのでしょうね。それを強いてどう「成功した」と言えるのでしょう。

「五輪は成功」の言葉が耳に焼き付いていますが、国民の苦しみに関してそれは運・不運・・・では済みませんよ。デルタ株~インド生まれ~は重症化しやすい(アルファ株~イギリス生まれ~の1.85倍)とのこと。

 

イギリスはワクチン接種が進んでいたのでその出現について「なんとかなっている」そうですが日本はそれが滞留している中でのデルタとの闘いを強いられているということになります。中でも後遺症の神経系(脳)の損傷(認知度の低下)80%の現実には驚愕。重症、軽症関係なくその後遺症があるといいます。

 

専門家の「ウィルスの進化はこれで終わりではない」にこれからもっともっと長期戦になることを示唆していて「どうやって人間は生きながらえるのか」・・・喫緊のテーマになっています。

 

おいおい「グローバル」などと軽口を叩いていたのは誰だよ・・・もはや鎖国しかないね・・・などとさらなる軽口を奥方にボヤく始末。

 

自分の身を守るには「人と人との接触を劇的に減らすしかない」といわれる中、私は毎日門徒さん宅の仏間で大声(読経)を出しています。みなさんはきっと私を信じ切っているのでしょうね。

申し訳なく感じます。ただ自信がナイだけですが・・・

お盆時の坊さんには日々PCR検査を義務付けて欲しかったくらいです。勿論経費はお国です。

その手の類、数えればきりがありませんが要は国からは「やる気」というものを感じられませんね。どれだけ「ぼけ~っと」しているつもりでしょう。

バタバタと人が死んでいきますよ。

ちなみにイスラエルなど「やれることはすべてやっていく」姿勢。国民を守るという気概を感じます。

 

昨日のトーキョーは4200人でしたが静岡288人と過去最高です。自宅療養者の重症者数もどんどん増えているようです。

静岡では東は藤枝・焼津、西は磐田の3市が追加指定で「まん防」に入るとのこと。

これは指定済みのお酒が飲めなくなった浜松と静岡の人たちがそれらの市内に流入して感染が拡大することを危惧してのことのようです。

ド田舎のここ牧之原市も東から西からジワジワと囲まれてきた感がありますが、さすがにこちらにまで呑ん兵衛が訪れるかは俄かに信じられません。まず利便のいい島田・掛川からでしょうね。まだ「余裕」・・・その気持ちも怖い。

 

日本では「ロックダウンできません」一本鎗の政府トップの方々ですがやはりヤル気がないだけ。つまらない思惑があって色々天秤にかけて動けないだけでしょう。

ということで静岡では「セルフロックダウン」とかいう言葉が聞こえています。

しかしそれも無理でしょう。

現実に「まん防」地区がダメなら「非まん防」地区のお店へ・・・という発想があるくらいですから。

今更になって「強い」国の意思表示ができないのはこれまで散々好きなことをやりまくっていたからですね。

 

昨日ブログでは拙寺でかつて御門徒に配布した聖徳太子像の「開運」の文字に驚いたことを記しましたが、それは私の違和感のこと。

「開運」の語は真宗的発想にはないということですね。

よってその語がただ庶民的に受け入れられ易いだろう・・・などと安直な発想、お寺として子供たちの健勝を願っていることを表明したいとその導入を試みる意図があったのだとは思います。

 

ところが当流に於いて「開運」~未来に「運」が開けるその願いを~という感覚は無く、一言記せば「如来におまかせ」ですからね。

運が尽きるとか、不運にも・・・などいう言葉は、失敗系のタイミングの悪さを表現する言葉としてよく使いはしますが、そのものズバリ「開運」などの使用は、日坂の事任八幡宮 (ことのままはちまんぐう)風のメッセージで仏教的に見てとても儚く感じる語。

よって私個人としてはあの「開運」の文字に違和感があったのでした。

そういうことから途中でそのことに気づき、大量の未配布の切紙が残っていたのかも知れませんね。

 

商品(特に静岡のお酒など)にその名が付けば庶民感覚としては悪い気はしないでしょうし目出度い場面には有難い言葉。

しかしながらそれは大いなる煩悩でもあります。

蓮如さんにいわせればたとえ「不運」というその不都合な結末も「定業」であって「凡夫の私」はそれをただ受け入れる他はないということですね。

そもそも私がどうであれ阿弥陀さんは「救う」と約束しているのだから。

ということで私たち仏教徒の望むべきことは基本「開運」ではなく「無事」の方。

何事もなく無事で今ある・・・別の言葉であるがまま、ありのまま。それが有難き事です。

それ以上のこと、モノ、何を望むのでしょう。

 

さて、私の最近の「不運」。

不運としかいえないその事案についてですがそんな「不運」なら「許容せよ」と怒られそうでもあります。

 

1年半ほど前の事、奥方と上下線とも交通量の激しいバイパスの追い越し車線を通行中のことです。対抗車線の大型ダンプとすれ違った際、中央分離帯を越えてきた小石がフロントガラスにあたったのでした。

 

バシッと物凄い音が車内に響いて一瞬硬直させられましたが幸いにしてフロントガラスそのものは何とか無事。しかしよく見れば運転席の真ん前にクラックが入っていました。

帰宅して市販の補修材購入、それを流し込みましたがうまく隠すことはできませんでした。

そのまま乗り続けて今回車検を迎えたワケですが、担当者に「コレじゃあ車検は通りません」のつれない返事。

DIY補修しないでスグ持ってきてもらえれば「補修できたかも・・・」とも。

 

何を言われてもすべて終わったこと。

車検代金にフロントガラス+工賃の追加発生となりましたがこれを不運と呼ばずに何と呼ぶ・・・

今のフロントガラスにはオプションのアンテナ線が付いていますのでそれらも当然に交換。ショックで寝込みそうです。

 

「何事も無い」ことの有難さよ。ついてないぜと 苦笑い

ただし車の運転で想定外の「事故」はつきものですね。

それが嫌だったら車に乗らなければいいのでした。

目に見えない税金のようなものと考えます。

 

後悔としてはのんびりと走行車線を走っておけばよかったと。

それを息子にボヤけば「勉強になったね・・・」。

ボヤいたこともさらに後悔したところです。

 

①舞鶴殿もお手上げ。

そして週間天気予報を見れば雨だらけ。

「梅雨末期の大雨」といいますが、また梅雨?

唖然呆然、これもまた「ついてない」。自分だけではありませんが。

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 12 8月 2021 08:42)

    ヒビは、車検×なんですね。
    私の22万キロの箱バンはフロントガラスに7ミリくらいの何かが当たった凹み。
    (ヒビはないから良かったのか)
    プラス水温計が反応なし。・・・それでも車検OKでパスしました。
    「開運」かな。
    晴れれば暑い、雨が降れば涼しい。これも「開運」。
    それなりに。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 12 8月 2021 18:24)

    ありがとうございます。
    息子もそうですが、案外とフロントガラスへ飛び石を食らう例が少なくありませんね。
    新品のガラスに「また飛び石」ということもあるワケでそうなったとしたらうんざりです。