繁栄も衰退の道を 岩淵廃寺跡 地球上の人類の刹那

普通の土日ときたら、それなりの墓参の方たちとお会いしたものですが、昨日は殆ど参拝者の影が見られませんでした。

毎日のようにヘルパーさん同行で電動車椅子でお参りに来られる才次郎さんが言っていました。

「8月はヘルパーさんの同行はないので一人で来る」。

これは「表に出るのは危険だから・・・」ということのよう。

酷暑がキツイということですね。

まぁ私の沖縄時代も、この時分、街から人影が消えていました。

酷暑=危険というのではないのですがね。

何事も自己コントロール次第と思いますが。

 

昨日はNHKの番組未来への分岐点」の視聴について記しましたがここのところニュースで報じられ目に焼き付いていることといえば「人々の生活の変化」に因るであろう(いやそうに決まっている・・・)「気候変動」の様。

 

ドイツ・ベルギーで発生した豪雨による洪水で欧州全体で216人が亡くなったといいますし中国の「1000年に一度」という洪水による地下鉄の画像やら道路に車たちをごちゃごちゃにしながら流れる水流の様子には驚愕させらています。

どちらの画像も先日の熱海の土石流画像に匹敵するものがありました。

 

ただし中国のその「1000年に一度」の形容についてはちょっとばかり首を傾げたくなります。

1000年前の洪水とやらと現代をどう比較できるのかというところ引っ掛かりますし「1000年」の語はとかく数的重みの方ばかりに目が向いてしまいがち。

それだけ「滅多にない自然災害」だから・・・「仕方ない・・」の雰囲気を醸し出そうという意図も勘繰りたくなってしまいます。

真っ先に「人災」を否定したいようにも感じるところ。

ダムが崩壊したという噂もありましたからね。

 

要は国の認識と対応力の甘さへの弁解に聞こえてくるのですね。そしてその「責任はナイ」の表明です。

中国は大河の存在から各支流の広がりが無数にあってそのコントロールは一筋縄ではいかないことはわかりますが、これまでそれへの対応策として堤防とダムの設置をしてきたというのが歴史というものですね。

ただしこれまでのそれでは不十分なほど上を行く気候変動が進んでその対応が遅れているということを考えます。

 

ここでの「夏の水害」たちですがいわゆる先進国系というのがポイントです。

これまでは気候変動の被害を真っ先に受けていた地域、人々といえばその変動に加担していない、まったく関係のない(先進とはいえない)生活を送っていた人というのが定番で、それでいてかつ世界のニュースとして配信されないものでした。

私たちの知らないところで起こった気にもかけないような「些細な事」だったワケですね。

それでいてその手の非先進国にて毎年の如く頻発している各自然災害が今度はそういった地域だけでなく、私たちコンビニエンスな生活と産業、国家の発展のみに注力し環境問題など二の次にしていた富裕な国々にも「暴走地球」の牙(そう仕向けたのは私たち)が向けられ始めたことを感じるのでした。

 

因果の法則はこれまで悪因(劣悪なタネ)を撒いた者たちが悪い果実を得る(悪因悪果 因果応報)というのが鉄則(その逆が善因善果)でしたがこれまでの自然の果実は例外で不公平、悪い因を撒いて善き果実を得るばかりの世界があったのです。

しかしいよいよ正当な因果の法則の中に生かされている私を思うときが来たということです。

悪の因を撒く社会に胡坐をかいていた私です。

 

「2020年の地球の平均気温は産業革命前と比べて、約1.2℃の上昇」と言われます。

平均気温のコンマ1℃の差が著しい変動に繋がることは耳で聞いてのみわかります。

その「1.2℃」の数字についてそれでも「大したことない」という感覚に陥ることは愚であることはわかっていますがどうしてもそれは些細なことのように取られがちです。

42℃の温度を体感(昨年)しても何事もなく「ふ~ん」という私がいました。

その平均気温1.5℃上昇がどれだけ厳しいことか、ずっと言い続け私たちの脳裏から離れないよう心掛けなくてはなりませんね。膝を叩いて立ち上がる時がきたのかなぁ~などと。

 

二酸化炭素を出さない、プラスチックに頼らない生活というものを自身刷り込んでいかなくては。

暑いといいながらエアコンに頼って、ペットボトルの飲み物をあおり、ちょっとした移動にも車という恩恵を享受している私ですが・・・。少しずつ問題として捉え変えて行かなくては。

 

さて、奈良のつづき。

ブログでは以前「天国の階段」と重ねて白毫寺について記しましたが(またはこちら こちらも)その背後の高円山を回りこむようにして針や福住方面から奈良市内に降りていくのがいつもの私のパターン。

「さぁ奈良の町が見える」というあたりに左側に岩井川ダムが見えてきます。

 

その右、ダムを真ん前にした道路、高円山側にバス停がありますがそちらが「岩淵寺口」。

その寺はかつては大きな寺院であの白毫寺もその寺の一宇だったともいいます。

今はそのバス停がかつての寺の存在を知らせているのみです。

それでも探索しようと踏み込めば石碑と石段に鳥居がありました。

やはり「天国の階段」(黄金の)に拘ることの因果、そしてキミの悪そうな伝承もあるようで、草ぼうぼうというところ、私はそこでストップ。

壊れたフェンスも人の立ち入りを拒むといった感じがしました。

 

大層な繁栄のあった寺だったそうですが、今はその通り。

人の営みの空しさを感じますが、正面のこのダムを見回して「奈良は大丈夫?」をつい思ってしまいます。

これが決壊したとすれば下界の奈良市街は大層な被害となるでしょうね(場所はこちら)。