廣坂と兼六園川口門跡周辺の石垣がある景色

日曜日のスカ晴れ。

法要が入っていませんでしたので気合を知れて境内作業となります。静波墓園の生垣が中途半端になっていますので、そちらにも行きたいところですがさすがに日曜日だけに寺に籠りっきりの一日でした。

 

境内は周囲の土地よりも50㎝~80㎝ほど高くなっていますが一部境界には石垣が使用されています。

河原に転がっている丸いタイプの石を積み上げたものですが墓地の台座にもそれらが使用されています。

日々頭の痛いことばかり各対策について考えさせられていますがその石垣でいえば、先般撤去した更地の東側隣地の境界と南側墓地との境界の件。

 

特に墓地との境界の上にはコンクリートの壁が巡っていますが各所にクラックが入っています。勿論倒壊のおそれもありますが、見苦しさは甚だしいものがあります。

会館を撤去したことによって目立つようになりました。

その墓地の排水(大雨でプールの如くになる)について相談したことのあるコンクリ屋さんの意見を聞きながらいずれはその箇所の修正をしていくことになりますが、石積みの上にコンクリの壁を載せることはしばしば石積みの動きによって壁が沈下したり割れたりするとのこと。

 

それを聞いて城郭等の積み石の上に立つ櫓などの建造物の重さについて想像しました。

城郭の石積みは初期の野面積みにしろ主に今残存しているものといえばその道のプロ(穴太衆・・・)が積んだもので偏に経験に裏打ちされた技術のたまものですから、この手の積み石とは違うに決まっていますがやはりその上に載る建屋を支えるものはやはり「木」であるということでしょうね。

 

木と木を組み合わせたものは多少の地盤の変化程度では木そのものの柔軟な性質によって正立を維持できるものだということです。コンクリでしたら数ミリの沈下がクラックを招きますからね。一度クラックが入れば経年によってそれは広がっていきいずれは崩れるでしょう。

 

今一度「木の良さ」というものを感じたのですが、最近は世の中もその方向性に気づいたようで世界的に木材価格が高騰しているというニュースがあります(ウッドショック)。

 

春先に整備中の勝間田城について記しましたが伐採した木々は谷底へ捨てるという「処理方法」でした。

まぁもっと地の利(道路が近く搬出に利便)が良い諏訪原城でもそうでしたが「なんか勿体ない」を感じるわけですね。

搬出に経費がかかり「ペイしない」というのが理由のようですが、「御自由にどうぞ」の有効利用のチャンスがあればいいのですがね。

おそらく製材屋さんからクレームがあるのかも・・・とも邪推してしまいます。

スグには林業復活というわけにはいかないのでしょうが、「森」を伐採して「開発」するのではなくそれを管理して生産、利用できるようにすればより環境にやさしいビジネスとなるのでしょうね。ただし何故か木材は末端では高価な素材になってしまうのです。

山では打ち捨てられているのに・・・

 

製材しない丸太をどう使うんだ・・・という方もいらっしゃるかと思います。

私は捨てられている細めの杉材に目が留まりましたがそれらを組んで西側墓地の土留めにしたり南側墓地の柵製作の材料にしたいものだと考えたものです。

軽トラで乗り入れて「くださいな・・・」という具合に。

 

さて、昨日は金沢城-鯉喉櫓台復元石垣とその金沢城中指折りの石垣景観について記しましたが、私の場合あの時、金沢といえばとりあえずは県立歴史博物館と兼六園東側の通りにあるお寺に行くという目標がありましたので車は歴史博物館の駐車場に乗り捨てでした。

金沢のあの辺りはアップダウンがあってうろうろすれば足に来ますがそれもまた楽しみのうち。

 

ブログでは兼六園を右に見て・・・と記しましたがその坂道の名が「廣坂」といい(今は「百万石通り」なる名称も)その途中に「川口門跡」という馬の歩幅に考慮したといわれる出入り口跡があります(場所はこちら)。

野面積みの石垣が趣を出していますがこの廣坂を下り切った信号交差点の右方向に鯉喉櫓台が見えて来るワケです。