小和田先生講演会 勝間田城伐採3年事業 

昨日も午前中にチェーンソー仕事にちょっぴり顔を出したあと午後から「い~ら」で催される小和田先生の講演会に向かいました。

参加者は当市の女性団体連絡協議会が人数を半分に絞って募集したものでその「50%」は殆ど満席になっていました。

1300開式でしたが1230には一般席最前列に着座。

午前中の仕事の疲れでその30分は口を開けて(おそらく)の爆睡タイムでしたが司会者の声で目を覚ますと、市のお歴々が目の前にズラっと居並んで酷く驚かされました。協議会の会長さんは檀家さんですし・・・

 

私の目的は小和田先生のお話ですのでまったくお構いなしですがね。

タイトルはまさに今風、「戦国の女性たちと城」でした。

江戸期の天下泰平の世になって女性の地位は低下したものの戦国期といえば女の出番は結構にあって「戦う女」など枚挙にいとまがないくらいと①備前常山城の鶴姫②豊前鶴崎城の妙林尼③伊勢安濃津城の富田信高の妻等をあげていました。

 

特に私は山内一豊の妻千代の「敷銭」についてなるほどと思いました。

例の馬の買い入れ金の「へそくり」の件ですがそれは実はそのような類のものではなく「敷銭 しきがね」といった婚姻時の持参金があるものと。

これは離縁の際には持ち戻るものですので夫の家の経済基盤には組み入れられないものとのこと。

それを夫の為に妻がたまたま提供したというストーリーですね。

 

さて、小和田先生のその日の午前中といえば学芸員の松下氏と勝間田城の散策をしたとのことでした。

小和田先生と勝間田城で思い出すの馬洗い池から出た木簡の萩間枡てすがお話の中でもそれに触れられていました。

 

勝間田城は今年から3年計画で「戦国の城」化するために木々の伐採事業を進めています。 

本来山城といえば木が生えていない禿山ですからそれに近づけるため市が本腰をあげたといったところ。

全国無数にある山城を当時の面影に再現するという試みはそうはありませんからね。

今後の変貌が楽しみです。

 

ということで現状出丸と三の曲輪の間の木々がバッサリと伐られている様子を。

中にはケヤキ系の大木やら良き材の株も見られてその再利用の有無について思ったところ。夥しい木材の量ですからね。

あの太いケヤキはそうはないのでは・・・木質が硬いのでチェーンソーの悪戦苦闘の跡が切株に見られました(樹脂製の楔の残骸に摩擦で焼け焦げた切り口等)。

 

⑤左が出丸跡と登城口。

②③の先が三の曲輪方向。

静岡空港の管制塔までスカーンと言う具合に見渡せます。

今は春霞がかかって富士山はうっすら・・・ですが。画像では浮き出てきませんね。