楽人長屋の土塀 参考復元 2018遠足は酒場コース 

昨日の相良は雨ナシ。

BS放送のMLBのエンジェルス大谷の出番を気にしつつー最近はいつもそんな感じーあの石標の移動先の穴掘りをのんびりと。

両肩の痺れと関節の痛みを抱えながらの「穴っぽり」(穴堀り仕事を昔から私どもはそう呼びます)。

日がな時間をかけて途中昼寝を交えてぼちぼちと完成させました。

先日は標の周囲を掘りましたが、移動先はそのものズバリその空間をより大き目に掘らなくてはなりません。

こればっかしは「まぁいいだろう」の中途半端は据え付けの段階で面倒なことになりますので10㎝以上は深く掘りました。

 

奥方はその空間を見て「ついに私をここに・・・」と突っ込んできましたので「いやいやそれならもっと大きいものを・・・」と返しておきました。

どちらにしろ梅雨時、水が溜まるのが嫌ですから早いところやっつけたい。ただし業者さん次第。

 

一昨晩はNHK番組「“孤独死”を越えて」を視聴しました。

色々な角度からスポットが当てられていましたが私がその番組から「そんなものか・・・」と思った点を2点ほど。

まず①に孤独になる年代というものが意外にも定年前の50歳代後半が多いということ。もっと年齢の多い人のイメージでしたから驚かされましたね。そういえばそのくらいの年齢で「ぶっ壊れる」方が多いような気がします。

 

そして②孤独になった原因として、まぁ色々あったこととは思いますがやはり「酒浸り」による家族崩壊の態様が浮かんできました。

亡くなった部屋に残されたお酒、ビールの缶そして時にギャンブル紙の乱雑放置から荒んだ生活が推測されますね。

 

孤独死はまず「突然」ですからすべてがすべてそうであるとは言えませんが、酒を中心にした生活感に自らの健康を意識しようという気持ちは起こらないでしょうからね。

 

そちらに生活の中心が移れば必然的に家族のことは二の次、三の次・・・孤独の道を歩むのも仕方なしです。

 

さて、昨日は東大寺の八角灯籠の楽器を演奏する天人について記しましたが、いわゆるそれは「ミュージシャン」。

当流大谷派のお寺さんたちの中でも昔ながらの雅楽を集まって演奏しているグループがありますね。

現在はつい雅楽といえば宮廷音楽、そして神社のイメージがありますが、本来その雅楽とは仏教と一緒に日本に来て聖徳太子が育てたものです。

 

2018年の拙寺の遠足は奈良でしたが、私がコースに入れたお遊び処は試飲のある今西清兵衛商店なる歴史ある酒蔵でした。

私は一切それを嗜むことはありませんが、その手の場所をさらっと入れておくのも遠足を飽きさせない計らいですね。

お寺ばかり連れまわすのは気の毒なことです。

また、「お酒はちょっと・・・」という方たちは近くに多くのお寺が控えていますので、集合場所と時間を告げておけば問題なしでしょう。

 

①②はその途中出会った「ならまち大通り」の「楽人長屋」の復元土塀。

楽人長屋は雅楽の奏者が江戸時代に住んでいたとされる建物。

つい最近まであってネット上にも写真が残っていました。

神社仏閣のお抱えミュージシャンの住まう場所のようですが、分厚い土塀とするのは防音効果を期待してのもの。

ご近所迷惑への配慮ですね。