rip off Bach 明月院やぐらの上杉憲方

昨日午前中は私が軽トラ3回、世話人ヘルプの軽トラ3回の計6回会館に残された色々を搬出しました。

昨日記した応接セットの椅子たちとマッサージチェアも処分いただいて価値ある半日でした。またこの日ですべての畳の処分が完了しました。

 

5月31日からが撤去工事開始になりますが、それまでにあとの未練ある品々を奥方と何とかしていく予定です。

 

未練ある品物といえば古文書と古道具がありますが、特にそれは時間を要してしまいます。つい仕事の進行を止めて眺めまわしてしまうからですね。

いずれにしろ江戸期の拙寺住職の蔵書が主で、程度の悪いものばかりで大抵は処分する他はありません。

 

その中で「崩し字」の色々についての古い辞書のようなもの、また御軸が数本出てきたことを吉祥寺の叔父に連絡しました。

ついでにワクチン接種の状況を聞いたのですが驚きましたね。

「通知すら来ないよ」でした。

当地の場合65歳以上の方たちはまず1回目は打っているようですから。

「人の数が違う」と言うのはわかりますが、そういう意味では都会の健康維持安心という手筋は脆弱としか言いようがありませんね。

もっとも叔父もそんな「海のものとも山のものともわからない」ものを喜び勇んで打つ気はさらさらないとのこと。

私と同じ・・・当家の人間らしい。

 

基本、周囲がそれを打ってくれればその壁によって自然と守られるという考え方ですね。

ただしその考え方は「ワクチンパスポート」の普及があったとすれば「社会参加」に不都合になりうることと、差別対象にもなるかもしれない・・・ということで考えを修正を迫られたのでした。

 

午後からはたまたまテレビから映画が始まってそれを視聴してしまったため殆ど仕事はナシ。

映画は「眼下の敵」という名作でだいたい5~6回目の視聴になるでしょうか。

私の生まれる前の20世紀フォックスの映画ですが、殆ど「10年おき」くらいのインターバルで視る映画です。特撮は時代を感じますがね。

そして先日ブログで記した「全艦退避」の命と艦長が全員の退避を確認して最後の最後に船から逃げるというシーンがありました。人命第一のところは日本とは違うことを感じます。

 

駆逐艦の艦長ロバート・ミッチャムとUボートの艦長のクルト・ユルゲンスの知対知の駆け引きを主に描かれたものですが、両知将とも共通にあるのは「賢」と「部下思い」というところ。

日本の上に立つ人間というものはしばしば「部下の犠牲」と「自身の加護」ばかりが目立つものですから、あの手の映画はいつ見ても新鮮な思いがします。

 

そして「戦争に勝も負けもない」というところと「人間の友情」は敵味方のうちにもあり得るということ。

戦争としての殺し合いのあと個人としては「恨みつらみナシ」というところがイイ。

 

また、前回のブログで「どうしたら(戦いに)負けるか」と記しましたが、それは今よく言われている事といえば・・・

①目標の不明確化

②戦力の逐次投入

③根拠なき楽観主義・・・ですね。

 

①がミッドウェー②ガタルカナル③インパール・・・でしょうかね。

国家的リスクにそれらの思考能力にて立ち向かってボロボロになった世界の第一人者でしたが、それはまさに明治以降の日本の伝統というかまだまだ今も「生きているのだ」とますます感じるワケですね。

アレだけの惨敗をしてもわかっちゃいない為政者たちにこのコロナ禍、国民を守ることができるのでしょうか。

 

上記、「部下の犠牲」という語を記しましたが、IOCのバッハが、「東京五輪開催を実現するために、われわれはいくらかの犠牲を払わなければならない」と言ったそうです。

「rip off ぼったくり (Thomas-Bach)男爵」に日本人の健康と安全の件、「犠牲」などという語で言われたくありませんね。

トーキョーで要人を集めて毎晩パーティを開催するそうですが、そんな輩のお楽しみに付き合う気はさらさらありませんね。「Bach」の文字列が「バカ」にも見えてきました。 

同じドイツ人ですが映画の中のクルト・ユルゲンスのキャラとはまったく違う・・・

 

だいたい叔父のいる五輪開催地トーキョーでのワクチン接種がここド田舎の相良よりも遅れているこの現状、トーキョーの皆さんはどうお考えで・・・

Bachを空港でお迎えして罵声をあげるという企画があったそうですが、日本の世論からすれば「Bach男爵」とやら、今一番に不愉快で「好まざる者」なのです。

私が思うところを記せば、貴殿がお好きなように「犠牲になれ・・・」です。

 

さて、昨日記した「鎌倉十井」の一つ「瓶(つるべ)ノ井」またの名を「甕ノ井」(かめのい)と呼ばれる井戸が明月院にあります。

標識には「鎌倉の水は質が悪い」とは記されていますが、水量が豊富だった感は昨日記した通り。

しかもこの時代にあって使用できるということは特筆すべきものです。

 

その井戸もそうですがこの寺は別名「紫陽花寺」で名の通った寺。昨日の拙寺境内にもその梅雨を代表する花が咲き出していましたが、今頃はそのお寺の境内はさぞかし華やかでしょう。

そして何といっても鎌倉特有の墓「やぐら」の存在も興味をひきます。

やぐらの中心には寺の開創と言われる関東管領上杉憲方の墓が鎮座しています。

上杉憲方といえば山内上杉5代目。その流れ15代目が上杉憲政でその子の龍若丸の墓が小田原にありました。

 

上杉憲政と言えば大河ドラマ「風林火山」の市川左團次の好演が思い出されます。

①②③は「宗猷堂」(そうゆうどう)なる開山堂。

 

尚、「rip off」と上杉憲方とは関係ありません。