宝戒寺の無患子(むくろじ) 手洗いは流水大事 

叔母の入所先の施設から連絡がありました。

2回目のワクチン接種が済んで、副反応はいまのところナシ・・・とのことでした。

親切にも「ご安心ください」・・・と仰ってくださり私も感謝の意を表しましたが、内心はその不安など一切持っていませんでした。

驚いたのは「案外早い」というところ。

まぁそういった施設にクラスターが発生するとバタバタと倒れていく例を見ていますから・・・何事も早い始末は肝要です。

かといってコネとカネを使って「我先に」などいう気にはなりませんね。まぁどちらも私は持ち合わせていませんので・・・

それが間に合わなくてコロナに罹ったとしても「それもご縁」で済ませばいいだけです。

 

「自分さえ」の見苦しさの露呈はお金持ちと地位のある方はできる限りそれにしがみ付いてこの世に長居したい気持ちの表れなのでしょう。

ただし残念ながら地位も財産も「あちら」には持っていけませんね。

それら含め自己の欲求優先に行動すれば己の「サマを見なさい」と注進されるワケですが陰で罵られるときは大抵「ざまぁ見やがれ」です。

 

叔母の施設からは「陰性証明も出ます」ということでした。

そんなモノをわざわざ出すということは・・・これまで私は「ワクチン どうでもイイ派」でしたがその証明書が世の中の行動の規範となってしまう動きをそこに感じました。

そうだとすればその証明をしてもらうべく注射を打たなくてはなりませんね。

いずれにせよ最後の最後でいいや・・・といった感じですが。

 

欲を言えば、はやいところ国産のワクチンを特例でも何でもイイですから承認いただいてそちらの方をお願いしたいものです。

ホントに厚労省はやることなすこと愚図でクズ・・・。

 

しかし色々な国の画像が入ってきて思う事といえば、防護服姿で街区、路上を相変わらず消毒液らしい液体を噴霧している様子。

アレはさすがに無駄でただの「やってる感」しか。

問題はそれを大っぴらに大きく見せることによって市民が「安心感」の錯覚に陥ってしまうこと。

本質は「ヒトからヒト」への感染であり、スーパー・スプレッダーが主ですからね。

これでは病気の本質というものが捻じ曲げられてしまいます。

 

よってマスクの装着と石鹸手洗いに適宜アルコール消毒が必須となるわけで、要は自身含めて「ヒト」そのものがヤバイということなのです。

「ヒトがヤバイ」ことは確かですがそれを大っぴらに言い出せないのは差別を生んでしまうからなのでしょう。

差別はイケないことですが、そこのところを区別して考えないとね・・・

 

さて、以前拙ブログでは無患子についてどちらかで記した覚えがありますが、昨日記した鎌倉宝戒寺にもそれがありました。

古くから果皮はサポニンを含み石鹸として、果実は硬いクロ玉につき羽根つきの玉などに使われるというもの。

 

そして疫癘対策、感染予防に忘れがちなのがそれらを洗い流す清流の存在ですね。

日本という国はその水に関しては比較的他国に比べて豊富です。歴史上水争いというものがついて回りましたが現代ともなれば蛇口をひと捻りさえすれば安心に口にできる水が好きなだけ溢れてきますからね。

 

そういうウィルスを洗い流すという清潔習慣が幼少の頃より培われて(今のところ)ロックダウンという強烈な制限とならなくても(多くの犠牲がありましたが)何とか国民の堪忍袋の大きさも相まって「こんなもの」で済ませていただいているのでしょう。

 

水は大切です。

雨は大嫌いな私ですが、以降豊富なそれを使わせていただくために梅雨時を貯水期と考えるようになりました。

まぁそういうことを考えると、わが家の蛇口に直結する大井川上流の山を崩すということはカンベンいただきたい。

もっともっと山梨県側を通っていただければ問題がないのですが。

しかし富士川上流、山梨県側で日軽金の子会社が違法投棄をしまくり下流に汚泥を堆積させ駿河湾のサクラエビが獲れなくなったという話を聞くと、山梨県サイドにもしっかりした工事の監督をしていただかなければなりません。

 

空気の流れによるスプレッダーを気に掛ける世の中になりましたが水の流れの上流、下流も大いに気にしなくてはならないようです。

 

宝篋印塔は北条家一統の供養塔。

⑥五輪塔は古そうです。

いずれも2010~12年頃の画像を引っ張り出しました。