正座 足の痺れ人様転倒笑えず 裾乱れの不様

この期にあっての梅雨入りとは・・・早すぎ・・・

五月といえば何と言っても「五月晴れ」をイメージしますからね。例年でいえばGW直後のこの頃といえば晴れが続いていましたし、それを見込んでまともな年(コロナ蔓延でない)ならばこの月の中旬に拙寺バス遠足が催されていたほどです。

 

青い空、清々しい空気と緑の野山の情景への思いが一気に吹っ飛んでしまいました。

それでいて早めの梅雨明けを期待したいところですが、そうは問屋が卸さない。そのアケは「例年通り」が予想されているようです。今年はまだ半分も過ぎていないのですがまったく「踏んだり蹴ったり」の一年になりそう。

 

だいたい今月末から始めるといわれる会館の取り壊し作業ですが、まだ中身の移動や処理が進んでいません。

こちらにため込んでいた古文書類の整理もその作業にありますが、あの仕事は晴天の境内に広げてのんびりと行うのが一番と心得ていましたのでこれではいよいよ「尻に火」の様相。

ここまで押してしまったのは・・・自分の責任。

 

ちなみに古文書整理というか当初それらを土蔵から引き釣り出した際、奥方と二人で肺炎にかかって通院するハメになりましたので、次回の古い文書類の片付けは「紫外線の下」と決めていました。

コロナのウィルスもそのようですが、あ奴ら含め、「よどみ」の空間が大好きの様。人間でも悪質な種と言われる人たちは風通しの悪い場所(夜の密室等)で悪事を巡らすようで。

フルオープン、明るい空の薫風吹きっさらしに吊るす・・・それが最良の策。

 

先日はメールにて紹介された資料から「小笠原流の騎射の名人」大草高重について記しましたが、そのK氏より追加の情報を提供いただきました。

「流鏑馬射手として『十六騎』の記録がありますが、牧之原からは大草高重氏以下、山名時富氏、小島勝直氏の三騎が出場しています。特に大草高重氏(当時52歳だったはず)は、以下のことから『一之射手』(最初に出走する重要な射手)であったことが推測されます。

・「風俗画報」の射手一覧で冒頭に氏名が記載されている。

・大草氏自身の書状に、小笠原流で一之射手が出走前に行う所作

 「揚扇」(あげおうぎ)をしたという記載が見られる。」

 

幕末から明治の牧之原台地には大草高重は勿論中條景昭に今井信郎などなど大河ドラマに採用されるに相応しい人々が数多いたということです。

 

さて、昨晩は長野県から訃報がありました。

長野上田といえば違う意味で興味ある場所で「今ならそちらは穴場」とは思うものの今回の訃報は複雑、亡くなった方は東京の従妹の件。

14日の逝去につき上京し昨日火葬したとのことでした。

16日は友引でしたが東京の火葬場は忙しく、月一で友引でも稼働しているようです。

 

意味不明たる「友引」を強調しますが、要は火葬場の閉館を兼ねたメンテナンスと業務員の休業日ですね。

それを開けなければならないほど火葬場が逼迫しているというのはまさか・・・コロナのせいではありませんよね。

インドのガンジス川を連想した次第です。

 

逝去された方はもと相良から九州熊本に。

市内で飲食店を構えていた方でかなり以前から(熊本城が震災で壊れる前から)その城の勇姿について私と盛り上がるなどお付き合いをさせていただいた方です。

墓参の際には熊本の高価な焼酎を持参されていたことは特に思い出します。

数週間前にその長野から、その方が独り暮らしのところ脳梗塞で倒れていたところを発見され、危篤であることを知らされていました。よって私もすぐにその後の件、了解させていただきました。

 

火葬場では俗名にて簡単ながら真宗の僧侶を呼んで読経していただいたといいます。

遺骨は東京より長野に持ち戻り拙寺納骨まで厚く弔うとのことでした。

 

私が毎度「私の事」として警戒する「独居のうえ脳溢血」「しばらくして発見」の流れ。身につまされるところです。

子供など近親者がいなくとも親しくしている縁者が遠い所からでもケアする人がいたことにより、死することは変わりないにしろ無残な状況だけは避けられたことは一つの仕合せであり良縁でした。

この件も「有難い」ことなのです。

 

以前もこの「ありがとう」の件、何度か拙ブログでも記したことがありましたが、この言葉を「商売等売買成就の返礼」であるとその意のみと誤解している方たちが数多いて、坊さんが布施を頂いて、香典の弔意返礼を頂いてなどなど厳かな場所では「相応しくない」などと注進されたことさえあるほどでした。

血相変えたかどうか忘れましたがこの語は「有難う」「有難し」の通り「あることが難しいことである」ことを表明することであり謙虚さを匂わし、また「縁」を感じさせるものですから私はその語は今後も「連発する」と断言したものでした。

 

その人の培ってきたイメージというものは時に違和感として醸成しその意に反している様にどうしても一言いいたくなることはわかりますがね。

特に前回の大河ドラマでかなりの違和感としてあったのでは・・・と思うのが、帰蝶の立膝姿。

小和田先生が以前の「風と雲と虹と」の吉永小百合に当初その立膝座りをしてもらったら(当時のNHKの脚本)相当のクレームの電話があってそれをやめることになったという経緯に触れていました。

 

「正座だろ」この野郎!!と言ったかどうか知りませんが、それはその人のイメージですね。却って恥をかきます。

 

その立膝は古くから高貴な者の待機姿勢としてはそれこそが「当たり前」(しばしば前述の「有難う」の反対語と)のこと。

 

そもそも着物での正座はムリがあるというのが常識なのですね。着物の重ね着の場合は「中の足」のカタチについて表に見えませんからその崩し方も(胡坐・・・)その人のやり方があるでしょう。

 

坊さんの着衣も曲録への着座をに関しては裾を気にしなくて済みますが正座となるとその後、立ち上がった時が面倒ですね。

まったく不様の躰と成り果てています。

着物での正座はそもそもそれこそが違和感なのです。

しかし今、私には仏前で胡坐をかいて念仏する度胸はありませんので、正座をするワケです。

立膝もそれを持続するのは意外と辛いものがありますので今のところ「正座でいいや・・・」というところ。

 

他宗大法要に参列の際見た僧侶の転倒や、正座に慣れない若者のそれはまさに他人ごとではありませんし、笑えません。

正座はやはり現状「当たり前」であって今更「それは違う」などと言い出せるものでなく。堪忍堪忍。

 

①長尾政景と仙桃院。②③高台院 寧々。

小和田哲男先生のユ―チューブにも立膝座りの解説があります。