父子の関係は案外難しい 蓮花院妙智寺 女墓場放浪

五輪のボランティアを辞退する動きが広がっているといいます。その流れに関して大会主催者は「問題ない」とのことですが、その言回しも不調法であると感じました。

「2F」は鼻だしマスクの態で「また募集するから・・・」。

 

問題があって同調できないので「やめる」人が続出しているワケでそれを「どこ吹く風」の躰というのはあり得ない感覚。

ますます五輪なんて「やめちまぇ」の声があがるのでは?

そもそもアンケートによれば「中止が望ましい」が1番多くで2番目が「無観客」です。

1番も2番もそうあったとすればボランティアなど不要でしょう。「問題ない」は言いえていますがね。

問題ない、問題ない・・・女性差別も、何もかも問題ない。

 

昨日は近松の「女殺油地獄」から河内屋の放蕩息子、与兵衛の「男」の姿について記しましたがそれは同時に「父・母と子」の関係というのもそのストーリー展開で欠かすことができないテーマとなっていました。

近代文学であっても特に父との確執を描いた私小説がもてはやされるなど、やはりその切っても切れない関係の問題を覗いてみたい気持ちがあったからでしょう。どちらの家庭でも「ある」話。

 

家康にしろ信玄にしろ結果的に「子殺し」ともいえる結末を招くなど家族の問題は根深いですね。

「子殺し」は何も厳しい差配というだけでなく、「あまやかし」もまた結果的に「子を殺す」ことになるという例でもあります。

 

そのストーリーは継父といえど父徳兵衛も母も息子与兵衛に気をつかうあまり甘やかしてやりたい放題を赦し放任しすぎてしまった結末でしたね。

今、ガースーの息子の役人を集めてのどろどろしていそうな画策の件、取り沙汰されていますが、ガースーは「自分とは関係ない個人の問題」と言い切ってしました。

しかしそもそもその地位に引きあげてまた親の地位を利用するが如く勝手をやらせたというこはやはりインチキの臭いがプンプン漂ってきて庶民感情を逆なで。

親が子の行く末について思うことは当たり前。

しかし親の地位を利用しての脱法行為はイケませんね。見苦しい親子を晒しました。

 

ということで戒めの言葉があります。

藤原定家が三男の為家に忠告したという件。

「思慮深く打ち込み」良き歌をつくれ・・・というものですが

「暖かくホッコリ、灯火を明るく灯して、酒や食べものを食い散らかしている様ではダメ。お爺さんの俊成(またはこちら)が素晴らしい歌を作ることができたのは夜遅く、薄暗い部屋でボロ直衣を掛け~」のお説教。

まぁお腹がいっぱいで暖かくしていたら眠たくもなりますね。

 

しかしそういう状況に身を置くことによって人を感銘させる歌というものができるものなのか・・・などとド素人にとって驚かされるところでもあります。

だいたい藤原の長者のイメージが付いて回っていました。

 

画像は俊成の養子となった寂蓮(俗名 藤原定長)が開いたといわれる蓮花院妙智寺(埼玉県入間市)。

叔父さんに養子入りしたということですが僧となって関東に下向したということ?

いつもの放浪記の山ガールがたまには寺を・・・ということで立ち寄ったといいますがそもそも実家の近くということ。

今後も「東」は任せたいところです。

 

その家系、当時の超エリート家系「藤原」にあって庶民の感覚とは程遠いものがあるところでピンときませんが・・・。

政に頭角を現し、または坊さんとなっての権勢を振るう、かの時代ですがそこに「和歌」という教養者共通のスポーツ(それに近いものがあった?)の名士となることが家の繁栄につながった時代だったのでしょうね。