再訪は当面ムリだけど四条畷 市立歴史民俗資料館

昨日は榛原病院へ。

核兵器禁止条約の発行を記念してお昼にお寺の鐘が世話人さんによって撞かれたようです。私は生憎不在にしていましたがそれは目出度い事。

お国の方といえばダメダメばかり、世界を変えてほしい。

 

叔母がリハビリ棟へ移るための「いろいろ」を聞くためです。

リハビリ棟では一日2回の歩行訓練がありそれによって回復を待ちますが回復しようがしまいが最長3カ月で出なくてはなりません。どうなるかは今後の叔母のヤル気次第ですね。

 

着替えやら何やらの用意がありますので奥方は午後から浜岡の叔母の自宅へ。

外気は暖かく、私は「外仕事でも・・・」とその用意をしつつありましたが雨がポツポツ降り出して自宅に籠りました。

すると夕方病院から電話。

検査をしたら血圧高い、血糖値高いでリハビリ棟への転院は中止になったとのこと。

まぁあの齢だから「そろそろ電池切れしても不思議はない」と奥方と。

では「オマエの電池はいつ切れる」ということになって「そうだ充電しよう」になりました。

私のそれは畿内あたりの野山を歩くことですが何せ宿を取ることがリスキー。

それを言うと奥方から「過充電も電池が壊れるよ」と。

しかし世の中、皆さん充電不足なのでは・・・

ストレスばかり蓄積し、鬱憤が溜まっているでしょうね。

奈良大阪方面でブラブラしたくなる頃ですが・・・奥方は「家で木でも伐ってろ」です。

 

昨日は新コロにかかった女性が自殺したとのニュース。

「他人に迷惑をかけた」との理由でしたが勿体ないことです。

言わば人間とは他者に迷惑をかけるために生まれて来たようなものですからね。

結論を出すのが早すぎますが、罹患による情緒不安定があったのでしょう。

 

「昨年の自殺者数は11年ぶりの増加に転じ前年比750人増(3.7%増)の2万919人、女性や若年層の増加が目立つ」とのこと。

感染拡大に伴う経済的な困窮や外出自粛によるストレスによるものと記されていました。

 

またイギリスの新聞社の「五輪中止」の報道で五輪関係のおエラいさんたちは大慌てでそれを訂正しようとやっきになっていました。

まるで戦前・戦中の日本の軍部みたい。

「負けそう」「撤退」に関しては「弱腰」と罵られそうで一切口にできないという環境、これは精神論だけで邁進しようとする日本の伝統なのでしょうね。

 

その結論を遅らせれば遅らせるほど傷口は広がって却って世界中の大迷惑になるというのに。

海外の関係者は既に諦めの声が出ています。

今のうちに「や~めた」といった方がどれだけラクなことなのか。すでに邁進の論拠は欠しくなっているのでは。

スポンサー企業もとっくにそれを感づいて選手との契約の更新を止めつつあるようですしね。

日本医師会も「ワクチンが劇的に効くとか、神がかり的な変化がなければ」各国から多くの選手団を招くのはムリと。

 

まぁ周囲に大損させてしまった旗振りの皆さん方は、その件自分の口からは言い出せないのはわかりますが・・・。

逆によくそれがストレスにならないのか「大したもんだよカエルのしょんべん見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」てなところです。

いつまでも「アスリートのため」は通りませんね。

ホントのところはご自身の花道のためでしょうに。

 

昨日ニュースにあったオリンピックの件あれこれのおカネの事情を転記すれば・・・

 

(1)1年延期による経済的損失:約6408億円(2020.3.19)

(2)簡素化による経済的損失:約1兆3898億円(2020.11.10)(3)無観客開催による経済的損失:約2兆4133億円

(4)中止による経済的損失:約4兆5151億円(2020.3.19)

 

庶民のあずかり知らぬこと。

もはやスポーツ観戦などまったく興味は失せています。

 

さて、「花粉が飛びだした・・・」と言われだした昨日でしたが暖かくなれば人も活動したくなります。

例年でしたら正月休みに帰省する「奥の墓道」氏と近隣の山城を歩くなどしてその年のスタートとしていましたが、今年はどちらも歩けていませんね。

 

私が今最大に未練のある場所は四条畷。

以前ブラついた時は飯盛山城にあまりにも時間を取られてしまったため、豊富にある遺構に触れることができなかったからです。城跡も今一度野崎観音からとは逆コースで歩きたいと思っています。

この四条畷だけで2日はかかる見積もり。

畿内は日本史の始まりを感ずる場所。

私の「電池」がなくなるまでには間に合わないかも知れません。息子が帰ってくる気配はナシ。コロナ終息の道も見えず。

当分ムリでしょうね。

 

四条畷の地は古墳時代あたりには朝鮮半島から馬の利用について飼育技術ととも伝承されて渡来人による馬飼い、放牧が始まったといいます。

全国の田畑の畔に残された馬頭観音たちによってもわかりますがそこから明治初頭まで馬は人々の力となり愛され続けたのでした。

散在する古墳など馬形埴輪や「いけにえ」にされた馬が発掘されています(画像②)。

高さ125㎝の蒙古系の小さな馬だったそう。

 

③は田原城主(礼幡-レイマン)の墓碑。

三好長慶は宣教師の活動を許しましたの城下ではキリスト教は大繁盛。近くの田原城主、田原レイマンも洗礼を受けていたよう。

画像は田原家菩提寺の片隅に埋められていたもの。

禁教令が出てあとから慌てて隠したというところでしょう。

①は四条畷の史料館のパンフ(場所はこちら)。