永仁二年鎌倉期秦氏の痕跡 九重塔 野崎観音堂

一昨晩の近隣火災の件、詳細情報が自宅内で瞬時に伝わらなかったことに「致命的」を感じ、役場に相談に行きました。

広報無線受信機が各家に配布されているという情報を得たことと、以前その手の「弁当箱風」のガラクタを見たことがあったことからそれを何とか探し出してその更新を依頼しました。

快く受けてくれましたが新品ではなく修理品が(月末頃に)届けられるようです。

 

役場内でその火災現場から50m程度の所に住まわれる方と会いましたので「夜中に大変でしたね」と言うと「実は爆睡していて気づかなかった」と。

私どもと同じようなものですがそれでも距離が違います。

きっとその機材の電源を落としていたのでしょうね。

どうしても離れた場所のこと、直接関係のない、特に知らなくてもいい事案の情報が圧倒的になりますのでスイッチをオフするその気持ちはわかります。

 

しかし目と鼻の先の火事騒ぎに気付かずにいられるとはその方の肝の太さを感じます。消防車が10台は来ていたといいますからね。深夜と言えども野次馬から何やらで町内大騒ぎだったでしょう。

息子の友人で当家よりずっと南側に住む者も現場まで飛び出して向かい写メしまくって各所に配信していたようです。

息子から転送されてきたその画像を見てその恐ろしさを知ったのでした。

 

恐ろしいといえば、今年のクマ出現情報。

毎度その恐怖についてい記していますが今年は特に死者も出るなど自然界への油断も「致命的」を思わせるような秋の景色、先日の焼津の花沢城近くでの出現情報にも驚かされましたが昨日の福井の件は出た場所に尚更。

福井県内にクマの出現があったとしてもそうは驚くことではありませんがその場所が驚愕。

一乗谷城の山中や岐阜県側の山深い地域ならそれも理解できようというものの、昨日捕獲された場所はまさに福井平野の住宅街、ショッピングセンターが並ぶような場所でした。

 

福井県は柿の実の伐採に補助金が出るそうですがクマはその柿を求めて民家のある場所を彷徨うようです。

クマ世界の情報網があるとしたら「人里にはうまいものがごっそりあるぞ」というところなのでしょうね。それは代々に伝承されるはずですからこれから各所でその「自然」とのトラブルは起こってくるでしょうね。

コロナと同じ、自分がそれに遭遇しないことを祈るばかり。

ちなみにこの秋、「再び福井へ」の腹積もりがありました。

 

さて、野崎観音の観音堂の裏山からは飯盛山城の登城路がありますがその入口に立つのがこちらの九重の層塔。

銘は永仁二年(1294)と鎌倉でも後期の部類となりますがこの丘を見下ろす最古老であることは間違いなし

トップ部分相輪欠落はまぁやむを得ないでしょう。

落下倒壊の経緯もあるようで、各所に痛みが見えますが軸部の金剛界四仏含めその遺す雄姿は愛おしくも感じます。

何といっても700年以上の年齢を重ねて人々の「悲喜」の数々を見届けているのですからね。

 

「ほおっ」と思わせるところは「秦氏」有徳人登場の件。

鎌倉時代もそれも後期にその名が・・・というところ。

そもそもこの手の塔の建立差配には経済的余裕というものを感じますが秦氏といえば古代の日本の経済文化黎明期に活躍した氏族を思いますが、その歴史はとても古く史上出典は古事記・日本書記が始め。

殆ど日本の歴史の始まりの時代に渡来したと言われていますが、当初は1万人くらいの人々がやってきて共通の「氏」、「秦」を名乗ったといいます。

 

それから時代を経て「ハタ」読みを残したりまったく改名したりしながら血統分化していくのですが、野崎観音の丘の上に建つ鎌倉期の塔にその名が刻まれていることはその源流を見た思いです。

畿内で大成功したその氏族は全国に散らばり各地でその技量をさらに開花させ有力者として中には武家として君臨していったかと。

 

最近は「渡来人」を「外人 ガイジン」「〇✖人」呼ばわりして蔑視してバッシングする傾向など見受けられますが、おそらく私に限らず日本人のDNAには案外「渡来」の刻印が記されているのではないでしょうかね。現代の貧窮・富貴の境無く。

基本アジア系「MIX」なのでしょうが。

 

それを騒ぐ人に限ってそのご先祖様は渡来人の血統が色濃かったりするもの。

人生は皮肉ばかりですからね。

 

余談ですがこれから人間ドックのオプションで「お気軽DNA解析サービス」などいうものが出てきたら面白いかも。

 

罹患しやすい病気は勿論のこと、有史以前のご先祖様の出身地がわかるかも知れません。私もやってみたい。