小海線 小諸のSL C-56 昭和13年で63900円

まるで「段取りもしっかり踏まなくちゃね」という具合にこの期に及んで今週中にも「ようやく」関西3府県に例の「緊急~」を出すとのこと。

いずれのこともモタモタ感満載でイラつかせるガースーですが、やはり愛知・岐阜も「何とかタノム」の声が上がっています。

 

昨日の首都含む周囲3県は月曜の最高記録を更新。

それも祭日の月曜日にもかかわらずです。

そして夕方には「東京はトリアージ始まる」のニュースも。

先週はアメリカの話として救急車の出動は20分の救命措置をして救命できそうなかったら「病院に搬送するな」の件、記しましたがいよいよ東京もそれに近い状況に陥ったということでしょう。

 

それは医療の手を添える患者に優先順位を付けるというものですが、そのお眼鏡にかからぬ容態だとすれば「見捨てられる」ということですね。

そのようになる前に何とかして欲しいというのが切なる願いだったのですがね。

「これまでいったい何をやっていたの?」と疑問に思うばかり。

 

さんざん「無症状者へのPCR検査を無料、国主導で・・・」について記していましたがようやく3月にも不特定多数を対象にした検査を始めるとのニュースがありました。

都市部の人が集まる場所で毎日数百件から数千件を目標に検査するもので無料で唾液検査をするようです。

 

しかしこの「3月って何?」とまたまた耳を疑いました。

ず~っとそれは言われてきた筈です。

そういった各方面からの意見を黙殺して「大丈夫・大丈夫」と臭いものに蓋をするがごとく目をつぶり、その時のシミュレーションすらしてこなかったことが手に取るようにわかります。

「今から準備するのかよ~」とまたまた呆れかえりました。

 

またてっきり入国の拒否でもしているかと思いきや、それをせずにいたこともあらためて。

一昨日は新種ウィルスの入国者4名様の件、報道がありました。

 

「入国拒否を拒否」したいというガースーのお頭の中からはオリンピック実現のため、その対応についてのチャレンジをし、水際対策の実績を重ねたいという意図が透けて見えます。

 

3月初旬にはそのオリンピックの「テストイベント」が控えているようです。

当然に海外からの招待選手を受け入れたいという算段でしょうから成田を閉鎖したくないのでしょうね。

一旦閉めたら「開くタイミングがわからないので」とどなたかに知恵を付けられたのでしょう。

一旦「閉める」と言っていたところを突然理由ナシで「閉めない」との方向転換がありました。

 

そこでその3月の海外選手を招くにあたっての国民への説得手段の一つがその国主導のPCR検査無料の件というのが私の見立て。

 

要は不幸なのは日本国民でしょう。

まずはエライ方たちは7月のオリンピック開催の日程ありき。

その日程からしてのテストイベントの成功という命題があってのいろいろなのです。

 

何でもかんでもがむしゃらにオリンピックを開催させるためにやるべきことをやらず、やらないでイイことをやってきた理由こそソコにあったわけですね。

もはや開催の反対、あるいは無理、あきらめムードの国民が8割ともいいます。

それを強行しようとするからいろいろなところに歪みを生じさせてかつ不審も生むというワケですね。

「ムリを承知で正論捻じ曲げて行くしかない!!」という方針を選択したということです。

 

都民はオリンピックのために二重三重の苦難を負えということなのかも知れませんがその巻き添えになっているのが他の府県のみなさんです。まったく、しんどい話で。

 

さて、のんびりストーブの前でぬくぬくしていれば今年最初の訃報がはいってしまいました。

その方は大正十一年生まれ。地元高天神崩れといわれる、小笠原の一統から嫁入りしたと生前聞いています。

 

生前聞いたというのはその御一家と京都納骨遠足にも付き合っていただくなどしたためですが先月も当家ご自宅でご挨拶したばかりでした。

寒気襲来によっての体調不良につき心臓が限界に達したといいますが、数えの九十九歳。

これ以上どう「頑張れ」といえるものでしょうか。

私はつい数字にこだわって枕経の際「あと半年で三桁・・・」などと悔やみの言葉を吐いてしまいましたが・・・。

 

その「大正」生まれの方というと既にもう「稀」「奇特」の領域に入りました。それだけに大事な歴史の生き証人をなくしてしまったという思いにも至りますがこればっかりはまことに致し方ありませんね。

 

私の生まれ育った小田原の隣町に大磯があります。

その大磯町の観光情報サイトに「超人気路上シンガーソングライター」と題して添田唖蝉坊(明治五~昭和十九)という人の紹介がありました。

添田唖蝉坊については各おしらべいただければと思いますが、「当時よくコレで捕まらなかった」と思わせられるくらいバッサリと社会をぶった切るような新鮮な詞で溢れています。

故人の生きた時代こそその添田唖蝉坊の曲が巷に流れていたのかと思いつつ当時の人々の我慢強さと諦観、そしてハッキリの物言いに心を打たれます。

 

小田原の北原白秋の同名の曲調に詩をもじった「今度生まれたら:添田唖蝉坊」をネット上にて発見し「ウソだろ」と思いながら面白がって転記してみました。

まるで今の事のようでちょっと信じられませんが・・・

まぁそれはまんざら嘘ではありませんからね。

 

「今度生まれたら:添田唖蝉坊」

 

①今度生まれたら議員になってみやれ

 議員良いもの議事堂の中で

 バカよダマレで二千円もらって

 租税増やしてほめられる

 

今度生まれたら議員になってみやれ

 議員良いもの議員室の中で

 先生先生と菓子箱もろて

 ワイロ見つかりゃ 秘書のせい

 

③今度生まれたら官僚になってみやれ

 官僚良いもの議会の中で

 記憶にありませんの忖度口上

 大臣かばって天下り 

 

大正時代の2000円。興味ありますね。

「大正9年の山手線の旅客運賃(山手線の普通旅客最低運賃)は「5銭」だそう。平成20年の山手線初乗り運賃は130円なので2600倍。

その議員さんの2000円×2600は・・・5200000円、それでも今より少ないかも・・・。

別の比較だと「大正9年の入浴料(東京の公衆浴場における大人1人1回の入浴料)は5銭で今が450円で9000倍。

それだと2000×9000で・・・1800万円。

 

画像はC-56。

小諸城近くに展示されていました。

昭和13年で機関車一台63900円。

その9000倍すると5億7510万円。

数が多すぎてまったくピンときません。そもそも機関車の値段何て・・・

今より物価は安かったはずですし。