バチってあたるもの? オリンパスの「他力本願」から 

お寺で檀家さんからのネガティブな提起と言えばやはり「墓じまい」でしょう。今どちらのお寺でもその流行りものとなった檀家さんからの提議に呆然とされること多々あるのではないでしょうか。

 

勝手なことを言いますとお寺の檀家さんが減ってしまうということになります。

またその総数でお寺の冥加金を決定するご本山、真宗本廟にとってもその傾向はイイ話ではありませんね。

 

しかしすべてのことを「ご縁、ご縁」と承服、合点している身としてはやはりそれもご縁ではあります。

RCの「いい事ばかりはありゃしない」の通りですべて順風満帆思い通りに行きたいというのが大間違い。

「まかせる」ほかはナイということです。仏の差配として。

 

今週東京からその件のお話を詰めに来られる方があります。

「相談に・・・」とのことですが既に希望は上記の通りですので、その段取り、手はずを進めるということですね。

お寺として拒絶しませんし受け入れるのみです。ずっとお世話になった檀家さまで残念な事ですが。

まぁこれまでのパターンですと嫁ぎ先の宗旨も違うということですので石塔を処分されて更地に(墓石の転居はかつて1件)するというパターンでしょうが今のところ遺骨についてどうされるかは決まっていません。

 

拙寺には永代合葬墓がありますのでそちらへの埋葬はやぶさかではありませんが、これまで海洋散骨などに持ち帰った方もいらっしゃいます。

世の流れ、少子化は墓の維持もままならないものです。

 

とはいえ先週の日曜日は新しい檀家さんの納骨式がありました。墓碑は境内ではなく墓園への建碑でしたが北海道、根室から3体のご遺骨の転入法要を行いました。

雪深い北海道は真宗寺院が多い中、外部の墓碑のほか納骨堂が備わった寺も多いようで骨壺のまま「転居」されてきたわけです。それ以前のご先祖様はいわゆる北方領土にあって「申し訳ないことだが放棄せざるを得ない」とのこと。

 

そちら島しょ部への墓参の件、よくニュースで見聞きしていましたが、まさかそのお話をこちらで聞くことになるとは・・・

その家は元はといえば屯田兵として北海道に赴いたのが始まりといいます。

静岡にはない苗字で出身地も限定される名です。

その地にはその名と同じ城があるというのも特筆的。

私は「行ってみたい」とは軽口を叩きましたが関東でも限りなく福島県に近い場所で気軽にホイ・・・というワケには行きませんね。

そちらのご先祖様にはこれからは温暖な静岡を安寧の地としていただければと思います。

 

さて、電気系有名企業を定年延長されている施主はじめ縁者が堂内に集まりましたがその法要の際、私のお話は「他力本願」について。

かつて囃された企業戦士(少々バブリーな表現失礼)にとってその「他力本願」は案外と忌避すべきスタンスと考える傾向があります。そして本来の私どもの言うその意について大いなる「違和」を感じてしまいますね。

何より当流ご開祖の思想を端的に表しているその語ですが。

まぁご開祖の宗旨の誘導装置としてその「他力~」と「悪人正機」の二枚看板は法話にはもってこいではあります。

 

その際、私が「案外と誤った使用が・・・」の例として示したのがかつてあった「オリンパス」の新聞広告とその反論についてを持ち出しました。

その「他力~」については拙ブログでもどちらかで記した覚えがありますが今回のおしゃべりの内容は「念仏には無義をもって・・・」の内容「捨てる 諦める」・・・これは経営者や各先生方からすれば呆気にとられるようなネガティブ語の連発でした。

 

その方もオリンパスの企業としての研究開発力に敬意を表していましたが私の思い、当時のオリンパスの社長が大新聞またぞろに一面広告(2002年)した「他力本願から抜けだそう」なる企業メッセージ公告にひっくり返るほどの衝撃を受け、今であっても忘れられないくらい苦笑いをした事に触れました。

そのときまた企業経営者たるお偉いお方であってもその語の本来の意味をご存じなかった・・・ということも特に印象に残りました。

 

その時はこの会社のデジカメは買うまい・・・などとケチな思いをしたものですが、そもそも現在、デジカメ市場は縮小してどちらも大変、この会社も今年になってカメラ事業の撤退を発表していましたね。

 

その広告が出されたあと、当流ほか真宗の教えを伝える真宗教団連合から抗議の共同声明が発せられていました。

私は寛容な真宗教団であってもそこは、「怒らなくてはならないところだ」の強いメッセージ、この声明を出したことに少々驚きましたし、頼もしい思いがしたものです。

まぁ殆どのお寺の住職は「そんなものだよ」と呆れながら笑っていましたが。

 

しかしその後の話で少々の因縁話と言っては真宗らしくありませんが、私が「阿弥陀さんの罰(ばち)なの?」と再び衝撃を受けたのがその抗議文の宛名にある代表取締役社長の菊川剛氏始め当時の取締役さんたちが退任後逮捕されるなどしたこと。

これまでトップたちが我が世の春を謳歌し君臨していたそのオリンパス社とそれまでの部下、そして株主から訴えられて多額の損害賠償金を請求されていたことも。

 

昨日その裁判の控訴審判決が最高裁にて決定されたとのニュースが飛び込んできました。

その裁判の経緯については割愛しますが(「オリンパス事件」でググってください)その最高裁で決定した損害賠償の金額たるや上記に記した驚きを遥かに超えたびっくりするような金額です。

 

旧経営陣5名で何と594億円の支払を請求されています。

それだけ会社へ不法に穴を空けてしまったということで会社としてもその訴えを起こさなくてはこれまた今の経営者の責任を問われるわけで株主への面目が立ちませんから当然のことですがハッキリ言ってその「お支払い」の件、ムリなのでは・・・というのが私のような平民の考え。

 

その社長さんの現役時代の年収は億を超えていたといいますがその100倍返しというのはまさに劇画チック。

まぁ傍観者としては「遠山の金さん」の処断以上に爽快ではありますが・・・。

訴状にあげられた方のうちすでに亡くなられた人もいらっしゃるそうですが、その「借金」は相続者に引き継がれるとのこと。

何とも強烈。

私が父からそれを受け継いだとしたら問答無用の夜逃げしか思い浮かびませんね。

 

しかしながら前代未聞のやりたい放題「社長だから」とお調子にのりまくれば強烈なしっぺ返しが来るという事案でもあります。

世の社長さんたち、ほどほどに。

これは社長さんに限ったことではありませんが。

 

また何より一言で犯罪といってしまえばそれまでですが、阿弥陀さまはじめ諸仏をおちょくったとすれば、いつかピシッとやられると先日の大河ドラマの信長の演出ではありませんが強く思った次第です。

ひとえに南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏で合掌して震えあがっています。