軍神社の先の狐ヶ崎の馬頭観音堂 景時愛馬「磨墨」

朝から奥方ブチぎれ。

乞食・・・「こつじき」についてはかつてもブログにて記したことがありましたが仏教用語で手っ取り早く言い換えれば「托鉢」でしょうか。

要は僧侶が布教等各地方行脚のためその糧をその地で求め、ただ提供されたものを仏から差し出されたと解して有難く命を繋いていくという一つの「行」ですね。悪い言葉、差別を旨とする語彙ではありません。

 

俗っぽくそれを「物乞い」というようにほとんど差別的に言われだしたのが後世。

また以前私の子供のころと言えばそういう人はどちらでも見かけました。子供心に「なぜ」という疑問と気の毒を感じたものです。

私がお寺に入ったばかりの頃は、そういう「道」を歩む数人の方たちやちょっとした勤労によってその対価を求める人、そして寸借(詐欺)から賽銭泥棒に車上荒らし、空き巣まで本来の「乞食道」とは違う「飛び込み」が多数境内を行き交ったものです。

 

まぁ乞食(こつじき)と盗人(ぬすびと)とは違いますのですべて一緒くたに括ってしまうのもどうかとは思いますが最近はその手の来訪は激減しています。

特に前者「物乞い」を「行」とする方は殆ど「絶滅危惧種」といってもいいかも知れませんね。

「盗人」に関しては今色々なカタチで増えていますので油断はならないところ、今後も特に夜間などケアしていかなくてはなりませんが。

 

その「物乞い道」で10年以上前から拙寺に現れる人が一人だけ「残存」しています。

奥方は2~3カ月に一度訪れるその人のために「食糧」をキープしているのですが、その人が昨日朝の5時台に「ピンポン」を連打したのでした。

 

最初は私が対応しましたが、第一印象は「相変わらずノーマスク

でヤバそう」。その人の担当はといえば奥方ですから「お~い」と呼んでバトンタッチしました。

奥方はその「食糧」を手渡す際「それにしても朝のこの時間は非常識」と声をあらげたそう。

 

奥方の言い分は「訃報と思ってドキっとさせられるだろ」でしたがしかし実をいうと最近は訃報といえば深夜に亡くなる方があってもせいぜい朝8時すぎて、それも電話が主です。

どちらの檀家さんもそのあたりは配慮されるようになっていますので昔と違って「5時台」というのはほぼナイのです。

よって既に奥方がキレたあとの話ですが私は「あの人に何言ってもしょうがないよ」となだめておきました。

 

ちなみにその人の言っていることはいつも無茶苦茶支離滅裂。

何度会っても私には「あなたはお寺の人?」で私の顔を覚えませんし(おそらく知らないフリ・・・)まずは「奥さんいる?」の第一声で私には「相手にせず」がそのスタンス。

それでいて失礼な輩などゆめゆめ思った事もありません。

そういうことから奥方担当なのですが、その人が奥方に言うには「朝がけ」の理由として「菊川で職質を受けてパトカーに載せられて今さっき相良で降ろされたから・・・」などと言い張っていたとのこと。

「そんなの理由になっていない」とプリプリしていましたが私はあの人と会話があったことが偉大なことだと思った次第。

私は「話すだけムダ」と。

「もしかして仏様がお寺を試されているかも・・・と考えて機械的に年貢をお納めしなさい・・・」でした。

 

まぁ「警察に通報された」は以前その人の口から聞いたことがありました。昔は拙寺の近くのお寺でもトラブルがあったとも。中遠では当局からすれば常習の方なのでしょうね。

その時は深く同情したものでしたが誰が見ても特に言動が「怪しい」ので致し方ないのかも。

「物乞い道」にいながらしてなぜかプライドが高く「裏社会に通じている」などバカバカしい話を始めますのでまったくもって時間の無駄。

まるで「食い物を早いとこ出した方が身のためだぞ」のようにも聞こえます。

ただし息子は以前それを指摘していましたが、少なくとも私よりはまともな風体。そしてイイものを着ているとのこと。

見た目で人を判断することはイケないことですがね。

 

そこで私の話。

私は他所のお寺には「モノを呉れ」ではなく先方境内をブラついて可能であれば本堂にてご本尊に挨拶。由縁を知りここぞと思う石仏があればカメラを向けるだけ。

お寺以外の街区で通報された経験もままありますがその日は酷く警戒されたようで「面倒くせぇ・・・」を思って退散しました。

当日はカメラでなくスマホのみしか持っていず奥方は別の場所に居たものでまったくの手ぶらでした。

 

そこでの問答は年配の方で境内を掃除している方でした。

ムシの居所が悪かったのでしょうね。

勿論その方を確認して私の方から挨拶するのは当然の事。

ちなみに拙寺でも知らない人、ノー挨拶ノー会釈などは珍しいことではない日常茶飯事ですが。

しかしその方ときたら怪訝そうな顔で「ちょっとちょっと・・・」と言いながら「庫裏に行って(許可をとって)くれ」とのことでした。

 

外注の掃除の方なのかそのお寺の檀家さんボランティアなのかはたまた住職なのかわかりませんが、その対応にはドン引きしました。

「お参りするだけですが・・・」と言っても「いいから庫裏へ」の一点張り。

 

私もどうでも良くなって「するってぇと何かい・・・」ではありませんが「参拝も許容できない」という風を感じこれ以上の「不毛」の問答を避けるため「そんなら、結構毛だらけ~」と早々に引き上げた次第です。

 

まさか名刺交換でもして素性を明らかにしてから境内に入れということなのでしょうかねぇ・・・

山門外側には例の「不許葷酒入山門」(画像⑧)が掲げられていましたが・・・

勿論私は酒も葷(ネギ・ニラ・ニンニクの類)も食していませんので各指摘はあたりません。

 

そのあとスグ落ち合った奥方に件の状況を話すとお前さんも十分に怪しいので無理もないだろうと。

今頃そのおじさんは「怪しいヤツが来て問い詰めたら尻尾を巻いて逃げ帰った」と鼻の穴をおっびろげながら吹聴しているだろうよ・・・とのことでした。

 

Gパン+アディダス、Tシャツにアロハを羽織る、いでたちは色黒も含めて年配者には違和感があるようです。

奥方は「チンピラ風情」と罵りますが私事、齢は喰ってますからねぇ。

それが即、所謂不審者扱という感覚は寒すぎます。

 

法衣を着てそういった人様からの待遇は皆無ですから、人はやはり見た目で人を判断しがちなのでしょうね。

私の知り得る限りそのスジの厄介な方たちときたら皆さんビシッとネクタイとスーツとピカピカの革靴で固めていますし。

オレオレ詐欺も現金引き取り役の姿といえばスーツ姿です。

庶民がそれにうっかり騙されてしまうのも分かるような気がしますよ。

「見た目が肝心」とはよくいわれますが、その思想はどっちもどっちであって正確な判断とは言えないのですがね。

 

尚、拙寺の場合はどなたでも「まず本堂にてお参りください」がモットーですからその意味でもかなりの違和感がありましたね。 葷も酒も私の寺はまったくOKです。

「人」を拒絶した(それも見かけで)となれば寺としての存在意義は失いましょう。

 

画像は先日の狐ヶ崎の曲金観音堂から近く、クス大木茂る軍神社とその先にある馬頭観音堂です。

あの時の合戦で梶原景時の愛馬「磨墨」が射かけられた矢で倒れ他の死した馬たちとともに供養を依頼したとあります(場所はこちら)。

磨墨の墓を称するものは各地に点在するようですね。