まだ夏を楽しむ 鯱岩墓地経由なぶら市場まで

大河ドラマ再スタートを視聴。

いまだかつてこれほどまでに「三好長慶」の語が発せられた番組はあったでしょうか。

私の勝手な推測ですが「数年後の大河ドラマの伏線か・・・」などと勘ぐりました。

ただし番組ではその名は連呼されても人物の扱いに関しては地味な扱いでした。

実際「さぁ面白くなるぞ」という時に、さらっと亡くなってしまいますので、大河に採用されるとなるとその時期と畿内限定の争乱となって今言う戦国メジャー級の登場人物はそうは期待できず、ストーリーも玄人好みになってしまうかも知れませんね。

ただし畿内、四国のみなさんは大喜びでしょう。

 

午前中は本堂焼香鉢の掃除に布団干し。

布団の干場は毛布や薄いものでしたらテラスの屋上に上げますがそれ以外のマットなどは、ここ数日前に完成させた庫裏中庭から直接テラス2階に上がれるステップを使用します。

このこれまで寺テラスに行くに一旦玄関を出て廻り込む必要があったのですが、このステップによってより気軽に庫裏と行き来できるようになりました。

 

このステップの製作についても奥方は「バカだねぇー」。

冬場に陽当たりが悪くなることを見越して先日は南側のキンモクセイの枝を払いましたが、お気軽に布団を干せる場所ができたのですから誉めていただかなくてはね。

私は今テラス屋上のスノコの製作を目論んでいます。

 

午後からは晴れの日の時間の過ごし方「散歩」ですが、昨日は目標がありました。

地頭方新庄の鯱岩墓地の友人の墓に挨拶に行こうというものです。先日、自宅のお内仏にお参りして少し経ってから突如友人のお母さんが来られました。

参拝について痛く感謝されて手土産としてケーキ類ほか甘いものを頂きましたが、その件「彼」に報告しようと墓に向かったのでした。

途中150号線と並んで歩く箇所があって身を晒すことに躊躇しますが殆どは堤防沿い。こちらのコースは堤防沿いを歩くのは川の水門があるたびに150号まで戻らなくていなりませんので厄介です。

 

途中考えることは「有難くも私は元気に生かされている・・・」の「なんまんだぶ」のみですね。

たくさんの見送った人たちを思いながら一歩一歩楽しく。

こういった長距離散歩(とはいえお迎えつき)について私は夏場しか行いませんが私もこういった健康がいつまで続くものかというのもこの人生の見どころです。

 

彼の母親の癒えない悲しみについて推察できます。

かつての同級生の私が彼の仏前に参って焼香することに関して感謝の気持ちが沸き起こることは確かでしょうが何故(私が生きて)彼が死ななくてはならなかったのかという理解不能かつ厳然たるその事実について咀嚼しなくてはなりません。

その母の思いは当然あると思います。

しかし「奥の墓道」氏とは毎度「また二人で行こう」ということになります(彼は新コロの為に今年は帰省断念)。

 

彼の墓地は地頭方の新庄の海岸端にある「鯱岩(しゃっちゃ)墓地」①。看板に「鯱岩」の名称が光っています。

鯱岩については以前拙ブログでも記していますが、その名が活字として残っている場所といえばこちらの墓地以外はないかも知れません。

そういう古い地名が消えていくのは残念なことですが、ではその語の発祥となった海岸は・・・と防波堤に上がってみました②③。満潮に向かっていたせいか「鯱の背びれ」は見えませんでした。

どちらにしろ港湾施設の設定によってその主役の岩礁は除去されているでしょう。

 

そののち奥方には「なぶら市場」まで迎えに来てもらいました。⑦が新作のスロープ。

汗ドロの躰はいつものことですが出しっぱなしだった布団と洗濯物について怒り心頭のよう。私の仕事でした。

そういえば行先も告げずにふっと消えてしまいましたからね。