盂蘭盆会メディテーション 六親眷属 明智城

昨日はこのうえない「仕合せ」を日に何度も味わって、小躍りしたくなる嬉しさを最後のそれにさらに感じました。

酷雨続く毎日、やはり「未だかつて見たこともない」大量降雨の今年の梅雨ですが一昨日の浜松での法事からそのラッキーは続いています。

 

私が出発したあとの相良は土砂降りだったといい東名高速走行中の多少の雨はありましたが天竜川の水量の多さを尻目に浜松市内に入れば雨はあがっていました。

そして先方宅で法要が終わった際、御文を拝読している最中にお日様まで出てまるで私の背後の後光の如く。

前夜から心配していたのですが、蓋を開けてみればキリスト教的に言えばまるで「祝福」されているが如くでした。

 

そして昨日は拙寺盂蘭盆会法要、全5回に分けたうちの第一回と第二回の日。やはり気が重かったのが大雨の予想でしたね。

すると朝から雨は止んで一時は陽が差すほどでした。

さすがに本堂内の湿気はお線香に異様を感じるほど(手触りと重さ)でまた木製手摺にカビが発生していたりの不快指数満点の状況でしたがとにかく雨はナシ。

障子を開け広げ大型扇風機をブン回してよどんだ空気を入れ替えるなどして対応しました。

 

コロナ禍での開催は「コントロールされた静岡県」を信じてのもの。事前の「お願い」とご門徒さまのご配慮によって隣席との距離は確保されていました。

午後の第2回目も同様で1回目散会後に降り出した雨もあがってこれも天は私に味方してくれました。

 

2回目が終わってから大いに落胆して(それ以上の試練のようなお達しの如くものも感じましたが)奥方にいてボヤきまくるほどの事態を告げました。

それは本堂内陣の余間、聖徳太子の軸の前に水溜まりを見つけたことです。

これは激しい雨に耐えかねて雨漏りが発生したと考えるのがスジ。天井部分は暗く良く確認できないため庫裏に懐中電灯を取りに戻った際、その「ガッカリ」について告げたのでした。

庫裏なら許容できても本堂では無視できません。

婦人部の皆さんの帰り際のことで「お手伝いできることがあれば・・・」と声を掛けられましたがその確認に天井小屋裏に上がることになりそうでしたので私も「ガッカリ感」もあって「それには及ばす」とつれない返事をしてしまいました。

 

そして奥方と懐中電灯を持って現場へ。

すると水溜まりの水の出所を指摘されました。

それ以前に「予兆はあった」と証言していましたが、華瓶(けびょう 真鍮製)の底に微かな穴が。

それを見て(原因が雨漏りでないことが判明し)、小躍りしたくなるような歓びを覚えたのでした。

 

他人様からみれば「ただの勘違いの大バカ」と見えるかも知れませんがバカと罵られようがそのオチほどうれしい結末はありません。

 

そういう「いきすぎた心配」なのでしょうかね。

昨日の東京206人で3日連続200オーバーの件。

それで「後藤キャンペーン」(私の知っているハチャメチャ後藤さんに準えて また「GO TOトラブルキャンペーン」なる造語もあるそうです・・・)で米軍基地でクラスターが発生している沖縄に行くなどあり得ないことだと私の沖縄志向を「行ったら死ぬ」となだめています。

そのイチかバチかの軽率短慮によってもしもこの相良に「新コロ」を運び入れたとしたらうしろ指の生涯を通すことになるでしょう。

 

今の地元の人たちの目はとにかく「東京のナンバー」。

「とんでもない」の風潮がコロナ以上に蔓延しています。

 

さて、盂蘭盆会の季節ということで、以前も記したことがある「六親眷属」(ろくしんけんぞく)の語について。

これは以前勝竜寺城周辺の墓域について記しています。

この語は他の教義でも使用されたり案外と古文には珍しくはありませんが当流においては蓮如さんの白骨の御文であまりにも有名な語です。しかし世間的にはそう使われる語とはいえませんね。

 

その語を明智城で遭遇しました。

先日も明智城本丸から搦め手へ下りる道を「十兵衛坂」と名付けられていたことを記しましたが、その道を降りる途中の郭にありました。

いろいろと地元の方々の意気込みが伝わってくる紹介看板がありますがその郭(乾曲輪)の先端が「見張台跡」とのこと。

当然行き止まりですから帰りはもとの搦め手へ辿る道に戻ります。

 

新し目で桔梗紋の施された覆堂の中にそれはありました。

 

盂蘭盆といえば「六親眷属」への感謝のお念仏。

 

まぁ、いつもと同じです。

 

真宗門徒は毎日がお盆みたいなものです。