「この齢になると本を買うことに躊躇する」と仰るのは静岡の秋野氏。
最近はやはり奥方様に追い立てられて蔵書の処分に取り掛かっているとことでした。
昨日その秋野氏が相良の実家の掃除のついでに「こんなのがある」とお持ちいただいたのが「骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと」という書籍の表紙のコピーと広大院の記述ページ。
静岡市立図書館で見つけたそうです。
私もその本と内容はかつて聞いたことがありましたので「おおこれか」という具合に・・・やはり面白いですね。
国会で飛び交ったと言う「強盗」の語ではありませんが「強盗慶太とピストル堤」などいう言葉は殆ど今ご存じの方はいないのでは。
そしてこの書籍の件、私も奥方もその父も母も「東急系」であったことから「強盗」の方には肩入れする傾向はありますが、この「ピストル」に関して私は偏に嫌悪感を抱きます。
「強盗」より「ピストル」の方がワルのイメージです。
その理由は増上寺の徳川家の累代墓域を壊してプリンスホテルを建てちゃった・・・ということ。
そのことから書籍に記されたよう本格的な調査が行われたのでした。
先日は某ホテルへのクチコミ「赤いワンピの女性」の件記しましたが、高貴な着物姿の女性がフロアや部屋に出てきたとしたら楽しいことだと思いました。
ホテルは墓場の上に建てられたということですね。
ということでアマゾン、楽天の中古本市場を検索。
なかなかイイ値段で奥方の許可が降りるかどうか分かりませんが希望を出してみたいと思います。
何しろ当方奥方からは書籍についても「何とかしないとトイレットペーパーに代えるぞ」などと日々脅かされていましたが、このところのコロナ廃業か何か知りませんが、その手の回収業は相良からなくなってしまいましたね。
当分そちらに持ち込まれることはなさそうです。
さて七曲り道の入口にある婆羅門杉は真言宗豊山派(総本山長谷寺)の普光山永照寺、通称「下之坊」というお寺の門前にありました。
この「永照」なる寺号も「普光」の山号と同様あたかも阿弥陀仏の我らへのはからいの如く勝手にイメージしたのでしたが御本尊は十一面観音でした。
その仏像に関わる名として婆羅門杉という名が付けられたとのことは先日も記した通りですが、ごちゃごちゃと私が考える以前に近隣長谷寺(またはこちら)末ということもあって、十一面観音の御本尊は納得しなくてはなりませんね。
「下の坊」の通り、かつては「上」「中」の坊含めて全部て六つの坊があったそうですが、他は悉く戦乱や火事で失ったとのこと。それだけにこの「下の坊」の存在は大事です。
こちらの本堂も室町期のものといいますが、こういった場所で出会うそれぞれの遺物、杉の大樹から墓石たちからこの本堂の佇む姿等々、ここの境内に立ってみなければその「仕合わせ」は味わうことはできません。
御本尊には御対面できませんでしたが楽しいひと時でした。
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