生の源 婆羅門杉の根本の石仏たち 

境内雑務中、ご挨拶の第一声は「暑いですね~」が主になりました。

しかしやはり未だ白いもので顔が半分以上覆われていますので「どちらさま?」というところは継続しています。

そしてまたマスク姿というものは「顔色を窺う」というその時のその人の心情というものが見通すことができませんので、真のコミュニケーションがとれません。

「こんなのでいいの?」という思いはありますが致し方なし。

 

そんな中、昨年バス遠足に同乗された方に声を掛けられました。

ちなみにその方は既にノーマスクでした。

カンカン照りの中の墓参、紫外線効果は十分で何ら問題なしでしょう。

その方の第一声「また今度ブラタモリで一乗谷やるようです」でした。そういえばNHK他旅番組の類は新規の製作は止まって今や再放送ばかりですからね。

大河ドラマも先の「桶狭間」で今後の放送はなし。撮影待ちです。次週からは大河の名場面集放送の苦肉の策のようです。

 

その方は「連れて行っていただいたおかげで今しきりに耳にするようになった一乗谷なる地を知ることができた」などとうれしい言葉をかけてくれました。以前にもその言葉をかけられていました。

その手の私の心情をくすぐる語を常に聞かしていただける特異な仕事ではありますが、真に有難いを感じますね。

 

来年は行けるようになればいいねぇ・・・是非にお願いします・・・と良き御日和でした。

 

さて、一つ前に記した婆羅門杉を今一度。

本日はその根元に注目です。

いくつかの石仏たちがその大樹の根本にもたれかかっていました。

当家の累代墓も松の大木の下にありましたが、人という者は亡き人への畏敬の念は大樹に同調してくるものかとも思いました。

大樹には先祖の影も見えていたのでしょうね。

このことは昨日の「赤い何某」の悪意ある作文の低レベルとは異にします。

 

ことにこの大木の根によって乱れた石段脇の積み石に、小さな堂のようなスペースが作られていて、不動明王らしき石仏が一体見えました。

 

②は境内から二本杉を振り返ったところ。③は杉の下から街道方向を見下ろした図。