庭といえば蹲踞「吾れ唯足ることを知る」龍安寺

東京の新規発症者は再び二けた割っての9人。

神奈川の33人は案外真っ当に近い数字が出ているのかも。

東京は「解除」の飴玉を配るその根拠たる数字を「作った」感があるような。

 

ではその「解除」は先日の「5月中まで」の決定をあっさりと覆したお国の方針にリンクしたのでしょうが、そもそもそのウラには「検察定年延長の強行採決」のためのカードだったのでは・・・などとも。色々考えさせられます。

 

それにしても午後遅く出たレナウンの法的整理の件は驚きでした。それはこれから来る恐慌の「序章にすぎない」などと言えば少々煽りすぎかも知れませんが。

それだけに「飴玉」はみなさん期待したところ。

そんな時に「飴」と交換にあの法律をいじる問答無用のご執心とはいったい何なのか・・・?

 

昨日は「ひょっとして私はバカなのでは・・・」の神父の台詞を記しましたが、お国から「解除」の飴玉を貰って浮かれている国民がいたとしたらやはりその「バカ」なのかも知れませんね。

病気発症のグラフがまた右肩上がりになるかも知れません。

今各方面から「異議アリ」の大合唱が起こる中、また検察OB、現役の方たちがここで声を上げるようになり、なお来週の決議で強行採決があったとしたら政府は私たち国民を本気で「バカ」と断じていたことがわかります。

 

自分のバカを知っている者には仏の救済があるというのが教えでしたね。ぼーっとしていたらやはりただのバカということで。

しかし為政者が「自分がバカかも知れない」の疑問を持たないということは・・・「真正のバカ」。

「自分のバカ」を思うことは反省であり修正の糸口になりますしね。

「吾」が正しいと思うことに突き進むのは一見勇ましそうですがそれは今の彼を見ていれば自己保身のみの姑息で気が小さいところを見せつけているようにも感じます。

要は映画で言えば「卑怯者」のレッテル。悪役でしかありません。

なぜなら主人公は国民でなくてはならないからです。

 

いまの彼は他の声を聞かない、無反省の愚者の躰です。

これでは日本は不仕合せとしか言いようがありませんね。

 

さて、ブログでは大桑城の「石」から思い出したように一乗谷の屋敷跡の禅寺風庭園について少々記しました。

本日はその前にやはり春の陽ざしに相応しい画像をと龍安寺裏山の陵墓たちをアップしていましたが、やはり「庭石といえば龍安寺」という方もおいででしょう。

以前の桜の季節のその裏山以外、龍安寺や仁和寺といえば人混みの中に身を投じることになりますがあの時も儀礼的に、というか息子待ちの時間調整もありましたが、あの庭を見に行きました。

 

あの枯山水は高校の修学旅行の時のこと(たしか「奥の墓道」氏も一緒だったと思いますが)庭園にイヌだかネコの糞が転がっていたことの記憶と、その「庭」の意味や趣すらもまったくわからない小僧の物見でした。

ただしそれから年月を経た今、何がわかる?と聞かれてもやはりその小僧のままでただ齢だけとっているだけですが。

 

此処へ来て自前でその画像を撮ってやろうという気持ちと積極性はあるのですがあそこはイケません。

シャッターチャンスが無い・・・

庭の姿をメモリーに収めたくとも人だらけ。

普段、石は石でも人気のない墓地で墓石を色々な角度から好きなように対している私にとってこれほどストレスの溜まる場所はありませんね。

石と庭を見に来たつもりが人の頭を見に行くようなものですから。

「新コロ禍」がもたらした「新しい社会」というものがそんな風景を改めてくれるのならただ悪い事ばかりではなかった・・・などと勝手に思っています。

 

画像は龍安寺石庭。

もっと引いた位置での撮影がベストですが、座して動かず佇む人たち多くそれは無理なこと。

④が「吾れ唯足ることを知る」の蹲踞(つくばい)です。石庭のウラ庭になります。

 

「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」から。イイ言葉ですしまたこれがうまいことできています。

 

「われ」を「我」と誤って記せば蹲踞の真ん中の「口」の共有ができず意味を成しません。

そしてなにより「我」の発祥は武器、そして「吾」には「わたし」のほか「とどめる」という意味がありました。

 

蹲踞の文字の並び順序を見れば中国風の「東南西北」順の読み(つい私はその傾向が→仏塔の四仏・・・)ではなく主語は「北」(北極星を背にして)にあります。北から右回り。

これはそうなるべくしてそうなっているのですが何か「民を見ている」という感がありますね~天子南面す~。

よってこの文言こそ為政者のあるべき姿であると見ましたが。

 

最後の画像がわかりやすいものがありましたので貼り付けました。こちらは浄土宗のお寺でした。

禅宗、あるいは茶の湯に限った考え方ではありませんね。

最近は真逆とはいえどもかつての日本の文化だったのかも。