「役に立つ」って 道三と義龍肖像画 常在寺

昨日の東京は新規22名。

 

檀家さんのご年配の女性が、会う人会う人に対してニコニコしながら「役立たずの用なしになっちゃって・・・」と。

それを聞いて、私はその方の謙遜含めた他愛のない自虐のご挨拶の一つなのだろうと思いましたが、人を何かの「役に立つ、立たない」の物差しで測ろうという考え方はありませんしイケないことと承知していますので、少々のショックを受けました。

 

私たち市民は「只今を一所懸命に生きる」のみと教わってきましたので私も社会や人様に便利に使ってもらおうなどと考えてもいないことでした。

ちなみに私が「誰のためにあるか」など問われたら「自分を生かすため」としか言いようがありません。

 

話が飛びますが、ただ政治家というものは「人様の為に身を粉にして働く」と自ら宣誓(立候補)しての職務とそのための高待遇があるのですから、その言を反故にしたり実現が出来なくなったのならば失政や無能力の烙印を押されるべきで「政治屋」と呼ばれるべきなのです。

 

 食品類の買い出しに関して奥方を店に放したあと、私は車内で居眠り・・・というパターンが続いていますが、そのまったり時間を切り裂くメール着信音。

奥方から「マスクあるよ」でした。

案の定ね・・・

今までまったくの「ゼロ」だった品がぼちぼち出てきだしたということですが昨日も記した通りこれからドンドン溢れかえるほど店頭に並ぶはずです。

万単位で在庫を抱えている業者はまたぞろあるようですからね。

当家は先日の中国製の寄進されたマスクの在庫ほかケチケチ使用の習慣でダブついていますのでパスしました。

 

今、マスクを購入するとき、みなさん「箱に日本語」を所望とのこと。

これから信用一番の国産品が出荷されてきます。

メーカーはいくら作って余ったとしてもお国が「買取宣言」していますので倉庫に不良在庫を抱えることはありませんね。

よって国産品以外のマスクは「バッタもん」扱いになって投げ売りが始まります。でも誰も買う人はいません。

どちらかに寄進して不足している国にでも寄付するシステムができるのでは・・・

 

要らなくなれば(無価値になれば)捨てられる・・・この世のならいなのでしょうかね。

それにしても当地では鳴り物入りの鼻高々のアベノマスク、例の使い物にならない輸入物の給食マスクですが、今更あれが届いたとしてそれこそ晴れた空の下にビニール傘を「させ!させ!」と差し出されているような気がします。

 

あれに400億円以上の税金を使ったそうですが、総理殿がやったことです。ポケットマネーでお願いしたいですね。

今更届いたとしてもまさに「役にたたない」。無駄。もったいない。

 

さて、大河ドラマの撮影の件、いつからの再開になるかといえば一応は6月末というそうですがこのご時節、ちょっとた未来の事ですら「わからない」というのが現状です。

最近出てくるどちらの案もアテにならないということで。

昨日も「今年いっぱいでおしまい」と、前回得た情報「越年する」を変えた案をブログで記しましたが今度は「やっぱり越年するかも・・・」というニュースを耳にしました。

 

結構に話題性のある大河ドラマですから当初の予定通りに進めて欲しいものです。

 

さて、昨晩のドラマでは道三と義龍の親子対決。

以前「カラマーゾフの兄弟」を持ち出して「父殺し」とはいかないまでも「父への反発」についてブログにて記したことがありますがやはり「父あっての私」以上に私がここに「ある」不思議をすべてのものに対する「おかげさま」の心でもって感じなくてはイケないということが宗教的「感謝と反省」の捉え方。

それを思い出させるものがありました。

 

画像は岐阜城下「常在寺」。斎藤家菩提寺です。

②に金華山、岐阜城が見えます。

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有名な道三と義龍の肖像画が残る寺ですがそれにしても二人の画から取れる印象は似ても似つかず、「親子」には見えません。

少なくとも私と父と祖父それぞれ性格は違えど容姿は「似ている」などと言われますからね。

そういったところから義龍の親は道三でなく土岐頼芸・・・という噂が後世になって特に囃されたのでしょう。

尚、道三の当初の塚は長良川の度重なる氾濫で消滅しています。

 

最後の画像が昨日の某所の掲示板。