「オメカケ」の新鮮さとオン・ザ・ライス

「根が至って気のきかない、スローモーション、全然モーローたる立居振舞トンマそのものの性質」と我が身を述懐する「青鬼・・・」の主人公。

わかるようなわからないような、何とも不思議な感覚になるお話です。

 

 しかし、私が現代において時折耳にする「オメカケ」という言葉やその実態について、「そんなものなのか・・・」と新鮮な気持ちにもなりました。

 こちら相良に於いても「故人の生まれ」について時として耳にしますが、「○○のお妾さん」とか「お妾さんの子供」とかの血縁を語られる場面がありました。

 私はその言葉は現代ではあまり通じない、「複雑さ」と哀愁やらちょっとした寂しさをも漂わせるものだと感じましたが、この小説の中ではそんな陰鬱なところはまったくありませんでしたね。

 

 まぁ男は金持ちでなくてはその手の「第2の家庭」を持つことは不可能でありますし女の方もある程度の贅沢を望んでいる姿はよくわかりました。

現代社会からは非承認、アブノーマルでもはやあり得ない形態ということです。

 

 また色々と話の中の表現も殊に新鮮に感じました。

主人公の母親への嫌悪への描写なども面白いものです。

 私なども父親の姿を見て、父の様にはなりたくないと思い続けたものです。こういう考え方は「不道徳である」と断言される人もいらっしゃるかと思いますが、私の成長期以降その手の考え方が発現し一貫してそのように考えたものでした。

 このことは志賀直哉や尾崎一雄、はたまたドストエフスキーや彼の「カラマーゾフ・・兄」の反発の如く、それらを見、聞きかじってそれこそが「当然なる子供の発達」であるのだと胸を張るようにしてそう思い続けていました。

 それでいて、今度は息子には「反目されたくない」という気持ちにあるのですから調子のいいものです。

 

 その反面教師となった「父親の風」を恥ずかしいとも思わずに記せば

①ヘビースモーク②教師人生の長さからくるものか上から目線③ごめんなさいは言わない④有難うは言わない⑤冗談が効かない⑥スグ切れる・・・等々です。

 おかげさまで私はタバコも酒さえもこれから口にすることなく棺桶に向かえることは殆ど間違いないでしょうし、他者への配慮の欠如はまだまだあって及第点とはならないものの②~⑥もまずまず反対方向に行けている感じがして「まずはOKかな」と思っているところです。

 

 ところが遺伝とは不思議なものであれだけ私が嫌いだった「天丼」が最近はどうも美味く感じるのです。

父親の好物は小田原「だるま」の海老だけが入った「天丼」で、それを見て「体に悪い」と思ったものでした。

 父はその他油ものが大好きで、傍に居て気持ちが悪くなったものです。

さすがに私はその「海老だけ」は嫌ですが最近になって無性に「天丼」が食べたくなるのです。

本当に可笑しな話で不思議なことです。その他だんだんと父親に似てきたと子供らに指摘を受けて不機嫌な思いをすることが多くなりました。

 

 相良には天丼屋はありませんが、菊川に気軽に天丼を食べられる場所を見付け昼に夜に通うようになりました。

最初はこの「注文」に際し店員さんに怪訝そうな顔をされましたが、私はもう慣れましたね。

 

 この店は菊川の西方(地名)の「レストラン不二家」のあとに出来た「丸亀製麺」です(場所はここ)。というかどこにでもある店ですね。不二家があった時は「ケーキ食べ放題」があって何度かチャレンジしました。

 こちらは本来はうどん屋ですが、私はうどんを注文せず一声「ライス」。そのまま進んで好きな天ぷらをお皿に取ってからオン・ザ・ライス。天つゆも用意されています。

 最近はライス120円とこちらのメンバーがレギュラーです。

えび天130円・イカ天120円・イモ天80円

1食450円也。お財布に優しい庶民の外食です。

 

当家3代目祐傳の父、成瀬藤蔵は出奔した当所、この西方という

地にやってきました。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 25 2月 2014 08:47)

    丸亀での食べ方に「あり」ですね。
    そりゃあ店員が変な目で見るけど悪いことではありません。
    しかし 考え付かなかったです。

    DNAをバカにしてはいけません。
    親があって子があるのです。
    子のための反面教師と取るのが一番です。
    お説教が長い、他の宗教を悪く言う、
    真宗を持ち上げすぎる。
    でも 我が寺の住職(先代)です。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 26 2月 2014 00:49)

    ありがとうございます。
    そしてまた、先代を「承認」していただき重ねて有り難く思います。
     うって変わって「父親」として弁護させていただければ
    他宗を誹謗中傷することを除いて、説教が長いのはある意味凄いと思います。
    私など長く話す能力も無ければ、気が小さく度胸レスですので空気を先読みしてしまって、皆さんの集中が途切れているのが感じられると、どうしても端折って終わりにしてしまう傾向があります。
    また「真宗を持ちあげすぎる」姿は「親鸞聖人一途」の姿であり教化としての上手下手はありましょうがむしろ二重丸で、これは褒め言葉です。

    DNAの恐ろしさ、最近「話、長くなった?」とも息子に指摘されました。そしてなにより食べ物には気を付けなくては・・・・