一時はこちらが美濃の首都 大桑城

昨日の東京は、87名。

5月31日までの長期戦が強いられることが決まりました。

世の中、出口出口と「希望」のことばかりに気が回るようですが(あたりまえか・・・)「北海道を見よ」ですね。

「出口」はまだ先、掘っても掘っても明かりは見えてこなかったとしたら・・・期待した分ガッカリは強いですからね。

とは言いながらも中には「シネ」と宣告されたように思える人もいるでしょうね。絶望による自殺が増えるかも知れないという忠告もあります。

 

拙寺のバス遠足は5月中旬に予定していました。

3月初旬に中止を決めてしまいましたが、そんな先の話「5月には終息しているでしょ・・・」という意見もありました。

ところがこのザマです。

余計な事あれこれを悩まずにさっさと中止を決めた判断に心から「よかった・・・」と安堵しています。

ヘタすれば来年の今頃もその「明かり」を求めて掘り続けているのかも。

 

それまで体力が・・・という人たちもたくさんいるはずです。

私たちは歴史の証人となるのでしょう。

神戸の震災と東北の震災をダブルで遭遇した人がいらしたと思いますが、今度はコレですからね。

私は「禍福は糾える縄の如し」の語をたびたびブログにて記していましたがこの「泥縄」は「禍と禍」で作られているのか・・・

希望や幸福に巡り合えない螺旋のようでもあります。

 

これ以上世の中と人心が荒廃するとなると、犯罪が増えそうな気がしてその辺りも未知の世界に突入となるのでしょうか。

各地警察署でも陽性患者が出ているといいますが昨日は妹夫婦のいる藤沢で警察官の初の死者が出ていました。

路上にたまたまかもしれませんが警察官の姿を見かけないような気が・・・(昨日はバイパスと150号を使って藤枝市内に)ということは治安が悪くなるということかも。

そうなると各地区で自警団などが組織され、恣意的な判断で「私刑」、取り締まりが蔓延りますます社会は荒れることになるというのが歴史です。

そこまで落ちるのか・・・この世界。

 

さて、昨日は流れで大桑城について記しましたが、本日も続けて。

 

こちらは山県市とはなっていますが以前は山県郡。

市政は平成15年からですから、その「山県市」については昔は地理得意の方々もピンとこなかったのでは。

あの城郭大系の目次も「山県郡」になっていました。

 

その大桑城といえば美濃守護、土岐氏の守護所があった場所ですからいわば美濃の主たる都。

朝倉氏が越前の小京都と言わしめさせた一乗谷を真似ての城下町の構築だったようですが、虚しくもその面影はまったくありません。

 

昨今は一乗谷は発掘成果と伴う観光化によって人々の往来は多くなっていますがかつての人々繁盛の様子は皆無となっています。まさにそれと同様です。

場所を替えて江戸以降に作られた町割りから発展したのが現在の都市部ということでしょう。

 

①②は登城口の行きと帰りの図。日差しの様子が変わっています。全行程約90分をかけてしまいました。

③については他の諸遺構については看板が掲げられて紹介されていましたが、こちらには何もなし。

奥に見える黄色い標識は、地権者による仕掛た罠の注意書きです。どんな罠が仕掛けてあるかも知れずそれ以上進むのは躊躇しました。

 

大手道へ続く街道側からの小尾根を分断する堀切のように見えますね。これは登城してスグ、右方向の山頂に上り始めるカーブの左側にありました。

 

「天主台」の名称があるからといっていわゆる天守閣であろうはずがありませんね。⑨~⑬。

 

上部に行くにしたがって綿製の縄が張ってあります。これがとても有難い。山県市の「親切」を感じます。撚りも張りも申し分なし。

トラロープでないことはさらによろしいのですが、さすがに軍手の装着は必須ですね。手に傷を負うことになります。

足場も砂岩の礫で滑りやすく崩れやすい、よくもケガ人がでないものか・・・いやきっと出ている・・・という場所です。

クマの出現(昨日看板)より自分の単純ミスが一番怖いですね。

でも楽しい。うれしい。

 

道三も取り敢えず城に籠って「時機をみる」というのが得策でした。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    くりくり (火曜日, 05 5月 2020 00:34)

    先日、自分がコロナになったかもしれない夢を見まして、起きたら喉が痛くて、7度2分アルって訳です。妻に言ってす部場所を変えるとか、職場に言わなきゃとか、もう仕事に戻れないかもとか妙に現実的でした。いつ収まるかもそうですが、自分がなったときどうするか、差別に押しつぶされないか難しいところですね。
    大桑城一気に有名になりますかね。先日NHKで「鉄の道」と言うことでヒッタイトの遺跡を放映してました。それこそ、なーんにもないとこが広大な町だったと言うものでして有為変転を感じました。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 05 5月 2020 09:15)

    ありがとうございます。
    何故か私の夢にはその禍について出て来ませんが、朝起きた時「体調変化」がないことを
    感じて「今日も一日何とかなった・・・」と安心を得ています。
    人は時に色々な荷物を背負いこんで歩きますが山登りの時はできるだけ身軽がイイですね。
    そうでなくても荷物は軽いのが有難いのですがやはり病を持つということはそれは
    身動きのできない「重い荷物」となります。それは時に人を死に至らしめる荷重となりますのでやはり自身養生が必須ですね。今後とも油断無きよう過ごしたいと思います。それを体に纏うのだけは勘弁してもらいたいところです。

    ただし感染した場合、治せるのかそのまま死ぬのかのレベルだと思いますのできっと
    その他雑多な思いに関しては「勝手にしやがれ」で流れにまかせるしかないですね。
    石が飛んで来たとしたら「ああそういう国に生まれたのだ」と自身達観するだけです。

    大桑城は司馬遼太郎の「国盗り物語」にNHKの同名の大河ドラマそして今回の大河でフームの再来ですね。城郭大系の扱いも縄張図もなく案外あっさりですがあの城は奥が深く発掘調査が進むなど今後の展開次第では伸びしろ(観光資源としても)は大いにあると感じます。
    ただし山城各ある中ファミリー向きとは言えない険しい場所もあってお気楽気分では行厳しいかも知れません。特にまたあまり行きやすいと言えない岐阜市内よりさらに北へ上がらなくてはなりませので。

    そして私もそのNHKの番組を見ました。高校世界史で耳にしたとき以来の文明でしたが面白い番組でした。
    当方奥方もそのヒッタイトに惹かれたようで最近、漫画「天は赤い河のほとり」を全巻取り寄せていました。内容については私は知りませんが。