智慧の光明はかりなし 文芸まきのはら

昨日の東京は103人。

専門家が言うには「劇的ではないが減っている」と。

昨日は太陽光線大好きの私の希望的持論「紫外線はウィルスに有効」の件、まだしっかりした機関による科学的検証と論文が出ていないために眉唾の部類の様。

まぁその辺りの件、私はいつも紫外線消毒(外遊び)は半世紀以上関わっていますのでそれを確信していますが、あのトランプがその説がアメリカ発ということもあって体内に紫外線を放射とか消毒液を注入しろだの思いつきのバカっ話に仕立てたためにおかしなことになってしまいました。

 

いずれにしろこのウィルスは各国トップの無能を曝け出したわけで、ある意味マイナスばかりではなかったのかも知れません。まぁそういった軽口が叩けるよう生き残らねばならないワケなのですが・・・。

ただし私事記させていただければ、私は「怖いけどどうでもイイ」ですね。新コロナ・・・いつもの「勝手にしやがれ」です。

 

さて、地元相良には教育委員会の出版誌「文芸まきのはら」があります。小説・随筆・史跡研究・短歌などなど地元の皆さんの名が連なっています。

どちらも重厚でテーマを絞って深く掘り下げています。

軽薄者の私が寄り付ける場所ではありませんね。

よって「文芸さがら」時代の父の記したものを見た事がありますが、以後時折植田花店の奥様からいただくくらいで自ら手にすることはありませんでした。

 

そんな折、史跡研究会講演の撮影等から各情報等々提供いただいている秋野氏より連絡がありました。

当家檀家さんの池田氏とともに今節「文芸まきのはら」にご自身含めての文書が掲載されているとの連絡があり冊子代500円を握りしめて「書店にGO!」ということでした。

 

すると秋野氏の「希少木探訪」「相良高校野球部の軌跡」には私の知らない違う世界を垣間見た思いがしたわけですが、思わず目を凝らしたのは山﨑知恵さんの「能捨」の記述③④⑤。

その名を見てスグに気づきました。

昨年の九月に亡くなった「山﨑チヱ」さん(数え九十四歳)でした。

 

この冊子の御常連だったことは存じ上げていましたがそれを拝読してなるほどと・・・故人の息子さんが投稿したものだったようです。

亡くなった日の日記に「原稿の筆が進まぬ」とあったとのことでした。

 

枕経に駆け付けてその時の様子を概略お聞きしていましたがそれが絶筆だったのですね。

そういえば私はその数日前9月18日に堀口医院の待合室でお会いしたばかりでしたので御年とはいえその急変に驚いたことを覚えています。

ちなみに私のその頃と言えば正座がつらいという膝の痛みでした。今はそんな痛みは慣れて「無視」のレベルです。

 

そのチヱさんの指摘される「能捨」。いいお話です。

まったく潔く感じますね。

私は父親の遺した膨大な書籍も殆ど処分し、今あるものもおそらく虫どもの餌でしょうね。

息子もそれと同じ、父とは方向が違いますが私の蔵書は彼にとって無意味でお荷物であることは確か。

しかしケチな性分、手放す気にはなりませんね。

一体いつまで生きられると思っているのでしょう。

 

⑥は池田氏の古滝境城の記述抜粋。

池田氏とは滝境新城でたまたまお会いしそのまま古滝境へ同行したことがありましたが、あれから何度かお一人で訪問されていたのですね。

それにしても夜間あそこに行こうと思うところがツワモノです。

 

⑦⑧はたまたま見つけた「郷土の戦国時代 その二」の拙寺の件。

 

尚チヱさんのペンネーム「知恵」はもはや「智慧」に昇華しました。