泥を被るのは・・・明徳の別所石龕仏 地蔵+阿弥陀双仏

昨日も東京は感染者97名の新記録更新。

遂に東京の私の友人のその友人に「陽性反応が出た」との報せ。

数字が上がれば当然に確率から言ってそろそろどちらかからその手の件が出るかとは思っていましたが、いよいよ「包囲網狭まる」の感。

イタリアやスペインだと1日の死亡者数はそれにゼロを1つ加えたような強烈な数字ですからまだマシなのでしょうが。

日本もそれを追いかけるとは・・・考えたくありません。

 

「マスク6億枚!!」も「1日8000件の検査対応!!」のアナウンスも結局は実現に至らぬ様子を見せつけられて、これはやはり根拠レスの適当な数字を掲げての「その場しのぎ「と評するべきなのでしょうね。

文句はいえません、悲しきかな私たちが「選択」した連中ですから。まぁせめて愚痴だけでも・・・

 

酷いものです。

病気なのか病気に罹っていないのかを判定する検査数について「日本はドイツの1/17」というニュースがありました。

 

検査を少なくさせたのは五輪開催のためのご体裁というのは当に承知しています。

延期か決まってガッツポーズを皆さんでされて安堵の雄たけびをあげていたそう。

願いが成就されたのですからいつまでも意固地にならず検査数を上げて欲しいですね。

装置も検査薬の技術も輸出国である日本にそれが「できない」という理由は浮かんで来ません。やらないだけ。

 

ちなみにその「日本はドイツの1/17」ニュースの記事から。

「実際のPCR検査の数は1日6000件ではなくて2000件を超えたことはなし。29日時点で合計5万4千件。そしてドイツは15日時点で16万7千件に達していた。」とのこと。

 

その判定で出た数字こそがすべての対応の根拠となるのですがね。

正確な市中感染者数が把握できないでいてそれでも何かしなくては・・・という発想から「マスク2枚漏れなくお届け」といった付け焼刃以下の冗談の如く発想が浮かぶのでしょう。

国民の命を守ることは「検査数」以外何物でもありません。

あのインフル薬を発症7日以内に処方できれば治癒率は格段に上がるようです。

判定ができなければ処方はできないのですから。

 

ところがあいかわらずPCR検査の正確性は低いだとか、患者が増えて病院がパンクする・・・等言ってそのスジの「やらない」ことの正当性を後押しするような弁もありますが、それは詭弁です。

判断がまず第一、「家に居ろ」の支持も投薬のタイミングもまずそれが判断材料でしょうに。

 

さて、奈良市内から県道186号線(福住矢田原)福住インター方向に向かいインター手前の下入田「笠阿弥陀石仏」について先日記しましたがこの道路上少々奈良市内寄りの三差路に大きめの花崗岩製石龕仏双仏があります(場所はこちら)。

ちなみにその三差路の直進が福住インター、左折するとゴルフ場になります。

ただ車を走らせているだけで気が付くくらいアピールしていますのでスグにわかります。

 

地元では古くから「泥かけ地蔵」と呼んでいるようで、安産祈願で「泥をかけた」という風習があったようです。

向かって右側に来迎相の阿弥陀と左に錫杖と宝珠パターンの地蔵二体で、当尾千日墓地などでも見たタイプです。

 

人がどうにもならないはずの四苦(生老病死)のうちの2題「生」と「病」の件を阿弥陀と地蔵に泥を被ってもらって何とかそれを「私が」成就したいという風習です。

人間界はといえば逆にエライ人に限って泥を被ることを嫌がります。

次は「仏」の心の人を選ばなくてはね。

 

寄棟造の笠があります。笠の存在は先日の阿弥陀石仏と同様ですがどちらもそれが残存しているということは経年の移動やら損傷から免れているということで案外貴重なもの。

他所、笠ナシのものが散見できます。

判読できませんでしたが、軸部両側に

 「明徳元年~1390~(庚)午卯月十一日 奉造立之 

         右為ニ親(聖)霊也 (孫次郎)敬白」 と

 

元号(北朝)の「明徳」の出典は『礼記』の「在明明徳」から。

「大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善」

今の政は「不明明徳、不親民、不止於至善」。

 

左脇に板碑風角塔婆が「刺さって」いますがこの石仏と同等以上に古いかも知れません。下の部分がどうなっているのか興味がありますが、引き抜くわけにもいかず合掌して失礼しました。