鳴物の杖~錫杖~を持つ巡錫の地蔵と阿弥陀双仏

やっぱりクルーズ船の乗客から感染者が出ちゃいましたね。

「2週間」船中隔離のアナウンスがあったようですから乗客の立場になったとしたら大変なこと。

まぁ大型クルーズ船の船旅といえばリタイアされた方たちの大いなる余裕、とリッチな感じがします。

大急ぎの用件というものは少ないかも知れませんね。

厚生省のお達しということになりますから、開き直るしかないでしょう。

すべてにおいて余計なお金がかかることばかりですね。

 

対応後手後手のあたふたを日々見させていただいていますが、たとえばその「2週間」に満たないうちに発症があった場合「どうするの?」というところ。

みなさんずっと同じ場所に居なくてはいけないというリスクがありますので発症者が出る度にその「2週間」はリセットされたりして・・・長期に渡る拘束はお国が面倒を見なくてはイケませんが今度の病魔蔓延で消費税のアップ分など吹っ飛んでしまうのでは・・・。

 

隔離の憂き目、それを考えると船旅など「一同もろとも」の1バッケージになる旅行で躊躇しますね。

あの状況はまさに「修行」のようなもので、シャレになりませんよ。

まぁ私どもにそのような余裕などまったくありませんが。

 

修行といえば、菩薩。

仏教に各修行者(菩薩)ありますが、当流の場合は阿弥陀如来一仏、「一向専念無量寿仏」世界においてその菩薩の出てくる場面はそうはありません。

敢えて記せば「伽陀」に出てくる観音と勢至(阿弥陀の脇 三尊形式)、そして正信偈に登場する阿弥陀如来になる前の法蔵菩薩に七高僧のうちの龍樹菩薩と天親菩薩などなど・・・、要は求道者であり「さとりを求めて修行する人」のことです。当流でいえば「念仏者」ともいえるかも知れません。

 

その修行を遊行とも言いますが一所にこだわらず、あっちこっちと歩き回って「教え」を伝えながら自らを鍛錬し続ける「人」なのですが、そういった菩薩の中で庶民的に一番膾炙している者といえば地蔵ですね。

 

私ども真宗とは違う、初期的浄土系というか土俗的思想が入り混じった救済願望の思想のカタチなのでしょう。

墓碑に地蔵+阿弥陀の二仏があることを記しましたがこのタイプの普及はこの当尾から奈良に顕著ですね。

仏教史的なところから解釈しようとすれば、平安期に貴族社会から繁盛した「浄土思想」はしばらくは上流階級のみの時代があって鎌倉期になってからその思想は庶民レベルまで伝わってきます。

ただしその浄土思想とはいっても善なる行、あるいは「行」の多寡によって「地獄行き」との線引きがされるものであって、浄土思想が庶民に届いたと言っても「私の地獄行き」については「まず致し方ないところ」というのが庶民の達観(「地獄は一定すみかぞかし」親鸞)。

 

要はこんなところでしょうか・・・

「何とか浄土への救済は阿弥陀さんにお頼み申したいところだが、とはいっても我が身のこれまでの行いから言ってそれは無理だろう・・・地獄に堕ちることはやむを得ないかも知れない。

しかしその地獄に堕ちた時、なんとかそちらで救済の手を差し伸べてくれる地蔵にも頼っておきたい」・・・

 

そういったダブルスタンダードは今でこそ日和見的であると思われがちですが、それこそが当時の庶民の思いなのでしょうね。

 

こちらも昨日の石鳥居、当尾千日墓地の美形十三重塔のスグ近くに屋根付き石龕(せきがん)に双仏(地蔵+阿弥陀)が浮彫りされています。

なにしろ通常のそのタイプのものよりかなり大型です。

 

昨日も記しましたが、墓地にいらした木津川の御担当はこの双仏に「南北朝期」のお墨付き。

室町初期の「地獄と浄土」どちらでも「行ってヨシ!」の思想が伝わってきます。

ちなみに昨日「がつお氏」にご指摘をいただいた石灯籠支柱の創建の件、明治二十五年は、神仏分離令で一旦取り去られたものをそのほとぼりが冷めた頃に地元の人々がそれを惜しんでかつてのパーツを使用して建て直したものと考えました。

 

この地蔵石仏の容姿ですが、その区別としてわかりやすいのは右手に持つ杖状のもの。

風化が激しいとまるでスコップを担いでいるようにも見えますがこれが「錫杖」(しやくじょう)です。

 

これは音が鳴るように上部先端に装飾金物が付いていますが、しばしば武器の如く振り回すようなシチュエーションもあったかと思います。カンフー映画ではそれで悪者を排除する武器として登場します。

山歩きの「クマよけ」として鳴り物を持ち歩くことがありますが、遊行者である地蔵菩薩は杖兼用のそれを携帯することがあります(右手で持つというのが決まり事)

 

その修行の姿といえば圧倒的に地蔵菩薩ではありますが、この近くにある藪の中の三体摩崖仏の右端、左手に花瓶を持つ「長谷型」(長谷寺本尊のスタイル)の十一面観音像も右手に「錫杖」を持っていました。

こちらも行脚(「巡錫 じゅんしやく」)、衆生救済の姿を現しています。

 

④⑤も同墓地で見かけたそのタイプですが⑥は三体仏。

真ん中は阿弥陀さん、左が錫杖らしきものが見えますので地蔵でしょう。右側は錫杖は見えませんが十一面観音か・・・