予想通り、次から次に「陽性」判定の報が舞い込んでくる中、これも予想はできましたが、やはり政治というものが機能していなかったのだなぁ・・・と再確認した思いがします。
今のところ私自身も周囲にも被害は及んでいませんので、傍観者然としていられる有難さも感じつつ、「そのとき」はどうしよう・・・と思った時、一昨日のお会いした方が言っていた通り「国会議事堂でゴホゴホやってやれ」と。
あの人たちは自分たちが病にかからなければ「わからない」のかも知れません。
いや、病気になって初めて知らされることはホントにたくさんありますから。
まぁ世の中には「死んでも治らないバカ」というものがあるようですが、それはおそらく私の事かも知れません。
日曜美術館再放送の時間は今春より大河ドラマに鞍替えしています。
昨晩は三好長慶(またはこちら こちら)がサラッと登場しましたね。
私の記憶ではこの人がそのようにして大河ドラマ中に出てきたというシーンは覚えがありません。
松永弾正は出てきてもなぜか長慶は割愛されているという感がありましたが、今回とても新鮮で嬉しくも思ってしまいました。来週のタイトルを見ましたがそれからも次は彼が中心に描かれるのでしょうね。楽しみです。
さて、ここのところ当尾千日墓地について何度か記していますが、あの十三重塔と地蔵+阿弥陀双仏の近くに御堂が建っています。
昨日の柳生墓地の受取り地蔵らしき石仏の前に屋根付きの建屋があることを記しましたが、こちら千日墓地の御堂は「覆堂」の意味合いが強いような気がします。
寺院でいえば御堂なのでしょうが、そこまでは「発展」が無かった・・・では何のためかといえば「ある仏」を風雨から守るためではあるもののその参詣者からしてもその風雨をしのげることは有難いこと。
そういった「堂」に関してはその堂内に鎮座している仏・菩薩の名によって呼び名も変わるものです。
阿弥陀さんなら「阿弥陀堂」あるいは「みんだ堂」、観音さんなら「観音堂」、地蔵なら「地蔵堂」他に「弥勒堂」「大日堂」「釈迦堂」「文殊堂」「薬師堂」「お不動さん」・・・
というワケで御堂があればどなたが「おわすのか」確認するために覗きたくなるというのが人情です。
真っ暗な堂の中はストロボをたくことになりますが、一瞬見えたその感じから現場では「地蔵?」と認識しました。
圧倒的に周囲に地蔵が多い中そのように受け取りましたが自宅に帰って、その画像を目を凝らして見れば・・・来迎印に見えます。
木製彩色船形光背の立ち姿の阿弥陀さんかと。
ということでこちらは「阿弥陀堂」でよろしいかと。
まぁ確定できませんが、思うにこの「阿弥陀さん」は先日この墓地の隅っこの原っぱにあった受取り地蔵の代わりなのか・・・とも思ったところです(三昧場)。
「受取り」のお役はやはり地蔵だろう・・とは思ったもののどちらかの時点で阿弥陀さんに託したとしても考えます。それも悪くありませんね。
何故にそのように考えたかというとその仏前覆堂の前にはこちらの受取地蔵や柳生の墓地の受取らしき石造の前にあった石造蓮台がど~んと設置されているからですね。
勿論棺を置く台ということです。
まだ「埋め墓」全盛の頃、弔い、斎講に使用したものでしょう。
そんな法事の際、野中で行うより雨風がしのげる屋根がある方が余程いいですよね。
特にまたこの石台が載る宝篋印塔のベース部筒身を思わすパーツはやはり鎌倉時代の雰囲気を漂わせていますね。
胎蔵界四仏かと思いますが、私の見た目その指し示す方角は正確のようです。
しかしそう考えると棺の置かれる中心は大日如来ということになります。
御堂は南面しています。
⑥阿弥陀如来 西方 開敷華王如来 南方
⑦開敷華王如来 南方 宝幢如来 東方
⑧宝幢如来 東方 天鼓雷音如来 北方
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