アインシュタインと姥捨て山 仏とは何?

夜間の雨はやんだものの朝から酷い風。

朝からどちらかJR在来線の運休のニュースもあったほどです。

各御門徒様のお手配で万事支障なくすべての式は執り行うことができました。おかげさまでした。

 

浜岡から父の妹の「月ちゃん」が参列していますが、自宅からお寺まではタクシー(タクシー券3枚+1500円程度)にて来てもらい式終了後は2回とも息子と奥方が送り届けました。

通夜の法話で導師より「姥捨て山」のおはなし。

勿論数あるバージョンの中「捨てようとした母に想われる」というもの。

 

これは前振りがあってアインシュタインが日本に訪ずれた際、北近江浅井出身の真宗大谷派の僧侶、近角常観先生と対談しましたが、アインシュタインは「仏とは何ぞ」と質問したそう。

ここで近角先生が喩えとして紹介したのがその「姥捨て山」のお話し。

 

息子におぶわれて姥捨て山に向かう途中、山中道すがら藪の木の枝をポキポキ折って印をつける「母」のお話し。

息子の「母を疑う心」、私も色々思い当たる節あって懺悔(さんげ)したいところ。

詳細は各検索いただくとして、その「母こそが仏である」という解説です。

 

ということで叔母さんと息子と奥方の車中、叔母さんが「どこに行くの」と運転手の息子に唐突に聞いたといいます。

勿論叔母の自宅に送ると言って載せているのですが・・・

息子はニヤリとして「姥捨て山だよ」と一言。

そう言うと叔母は「え~」と絶句。

息子は「ごめんね もうその齢(86歳)だよ」と念を押すと

「まだ早いよ・・・」となって車中大爆笑になったといいます。

ボケているようで冗談はわかる、返しもうまい。

まだまだでしょう。

 

人の年齢の重ね方に軽重はありませんし人間無常「是生滅法」は決まり事。

どうこういっても仕方ないことですが、「順番こ」で行けば次は叔母の番

しかし当分葬式の施主はやりたくない。

叔母の場合は庫裏で行いますが。

 

②鐘の下にダブルで発電機の設置。布施氏の手配でした。

これは通夜の時「ブレーカー落ちたらどうしよう」と私がボソッと言ってからこのような対応になりました。

 

③は尊前を飾る当流独特の荘厳「根菓餅(こんかぺい)と杉盛(すぎもり)」。これらを仕上げるのは結構に時間をとられます。

「なんちゃって」の代物は出回っていて奥方はそれを用意して済ませ!といいますが。

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (土曜日, 28 12月 2019 08:49)

    お見送りご苦労様でした。ヤレヤレと思うと風邪を引きます。お気をつけください。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 28 12月 2019 18:47)

    ありがとうございます。
    いろいろお世話になりました。
    これから大晦日に向かってエンジンかけてずっ走ります。
    寒くなるのだけはかないません、ケアは欠かせませんね。