臆病になる私 慣れを以って自滅す  模擬天守清州

曇天の一日でしたが、有難いことこのうえなし。

天気予報では降雨とのことでしたが、助かりました。

前日、木に取り付いている私に地上から「明日雨だけどお墓まいりをどうしよう・・・」と法事の件、問い合わせを受けました。「何とかなるでしょう、ご心配無用です」のいつもの大風呂敷を敷いていましたが、その言の通りに後押ししていただいたような気分。皆さんも「OK OK」の様子でした。

 

そういえば昨日は法事のあとにレンタカーにて浜岡の叔母のところに行きましたが、軽自動車ではあるものの、今時のあらゆるハイテクが装備されているようでまったくまごまごさせられました。怖くなって帰りは奥方にハンドルを譲りました。

 

怖くなったというのは事故の件もあります。

その木の上で電話がたて続けに鳴り響いているのを聞いて尚放置していましたが、奥方は「大物」の材を落としたあとだけに「ちょっと用事を済ませに」と出かけて不在。

たまたま来られたお参りの方のご挨拶を受けるために地上に舞い戻ってその対応後にまた電話。

 

すると奥方からで「事故にあった」と。

聞けば拙寺裏の波津の交差点で信号待ちの際に店からバックで出て来た車に当てられたとのこと。

「来ない?」と問われて「行かない!」と即座に応えたのは奥方は暇を持て余して(現場検証待ち)電話を数度に渡って掛けるほど無事の様であり、その責はといえば皆無であるということもありますが、何しろあんな交差点でちょろちょろ顔を出すことは実に嫌なことです。

知っている人が見たら「おお事故ってる」とどう後ろ指を指されるかわかりません。

人の目を気にすることなどは平気な性分ですが野次馬的状況に自身投じたくありませんからね。

 

後からちょっとヤバイかな・・・と思ったのは奥方に対して第一声「具合はどうだ」と声掛けせずに「車はどうだ」と心配の方向を違えて聞いたこと。

まぁ本人もその程度の事・・・と気にしていないくらいピンピンしていますので。

 

それからその店の前で停まって奥方に心配の声掛けをしてくれた方々等いましたが、ある方に聞けば「コツンとやっただけで80万」だったという話を聞きました。要は「むち打ち後遺症」の主張による色々の様。

他の人との雑談でも周囲には「やられたら首が痛いは当然」の連中ばかり・・・とも。

嫌な「慣例」ですね。

貰い事故は面倒な事山積で一瞬はカッと来るでしょうが、自分が加害者になったことを考えれば真っ当に対応しなくてはね。

 

奥方は加害者はじめいろいろな人に「体の具合は大丈夫?」と聞かれていづれも「OK OKと。

朝起きてからも「絶好調」と法事の用意を済ませて、午後からの叔母さんの鰻の振る舞いをペロっと平らげていました。

 

というワケで車は修理工場行きで代車はレンタカー。

車は昼すぎに届きました。

よって朝一は軽トラで大沢の先方ご自宅に赴きました。

 

保険屋さんの手配とはいうものの、この車社会というもののカネの流れに「事故」の件、大いなる経済活動の歯車に載っているような・・・

1週間の修理期間ということでレンタカー代と修理代、色々な人たちの手をかけてその一つの軽微な事故の修正が行われるのですが、大層なおカネが発生しますね。

今回はたまたま医療関係の経費はないものの、今回の件、大した被害の無い「被害者」としてそれを冷静に俯瞰し、事故加害者には絶対になれないと強く思ったのでした。

 

昨日は高所作業の危険にご指摘を受けることについて記しましたが私が今一番危険であると感じるのは車の運転に他なりません。

近隣事故発生が少なくない交差点は多々ありますが、私が結構に注意して通過する相良高校側から百花に向かう通りと本通りの交差点で昨日はヒヤっとしました。北側から本通りまでは相良―金谷線のバス通りでもあります。

昨日その軽トラで大沢方面からお寺に帰る際ですが、本通り前は一旦停止。

「右見て左見てもう一度右見てGO!」なのですが、その左を見た時パン屋さんの前に駐車した見覚えのある車から見覚えのある方が出て来たために、「これはひとつご挨拶」などと1クッションその「左右左」に「間」をいれてしまいました。

わき見運転の典型。

 

軽トラの私に気づくワケもありませんので、そのまま右折しようとすればどこから現れたか右からの直進車。

それは気持ちだけで車は動いていませんので事無く済みましたが、信号待ちで奥方にバックで衝突した方が「知らぬ間に信号待ちに車が停まっていた」との証言。

要は注意力が一瞬間散漫になっていたということなのでしょうが、人というものは「慣れ」を以って自滅していくことがよくわかります。

色々なことをいっぺんに作業することは苦手なのですね。

高所に上がれば「ミスれば落ちるだけ=死」で注意力集中力は否が応でも 保たなくてはなりませんので、しばしば余裕をかまして時として他人様の命を奪う車の運転は最近殊に恐ろしく感じます。

そして他人様の経済活動システムの養分にはなりたくないですね。

その件、横浜の息子にも念押ししておきました。

 

さて、歴史史実は誰もが知りたいところですが「本当のところ」というものはいつの時代も闇の中。

慢心の為政者は都合の悪い事はシュレッダーに掛けるが如く、歴史史実を無きものにしたがることは古今東西どこにでも転がっているお話。

そこまで酷くなくても後世になってご都合よろしく推定だけで根拠レスの構造物を建てることが一時流行りましたね。

近隣でいえば吉田の小山城など最たるものです。

おカネがあるということは羨ましいことではありますが、ひとつ間違えば「デタラメ」と後ろ指を指されることになりますね。

 

何度かブログでも記しましたがあそこには天守閣などありませんでした。それから熱海にもそれらしきものがありましたね。あそこあたりになると小山城よりも根拠に乏しいと思われます。

 

以前、史蹟研究会の皆さんで尾張方面に向かいましたが、「清州城へ」という選択肢がありました。

信長の城で有名なその城は復元天守がありますが、それはいかにも勇壮でシャレています。

しかし、その選択から漏れてしまったというのはやはりそのお城が鉄筋コンクリート製模擬天守だということ。

発掘調査での確固としたベースの発見、確認もなければ図面もなしでのGO!!。

要は想像力と現存のどちらかの天守から推測で作った現代の構造物ですね。

地元として観光資源としての活用はそれはそれで結構な事です。

おカネの無いわが町ではそれすらもできませんからね。

 

しかしここで思ったのは「おカネがある」―余裕がある―権力がある―ということは結構に注意力を散漫にして往々にして墓穴を掘るのかな・・・と。

 

いやいや清州城のことではありませんよ。

立派なお城でその雄姿は惚れ惚れしています。

まして私が注意力散漫な運転になるのはただの長いばかりの運転期間とちっぽけなその技量への慢心です。

 

画像は絵師不詳ながらかつて清州城の襖だったという四幅の御軸です。

 

「巨松を主体とし竹、梅と金鶏および群禽、おしどりなどを配している。画法からして、狩野派以外に海北派、長谷川派などの系統も考えられる」と(名古屋市博物館)。

天守の中に原寸大の写真が掲示されていますがそれを撮影したものです。