小貫意正院のヒヨクヒバ(比翼檜葉 糸檜葉) 樹齢は?

老老介護、多重介護に自身の「勝手自由」と仕事と老後資金まで奪われ、もがき苦しむ辛き人生を送らねばならない人たちがたくさんいることがわかりました。

私の若く元気な頃といえば、そんな事・・・とまったく気にも留めないようなお気楽さ加減でいましたが、この齢になってくるとやはりその件じわじわと身に迫ってきた感があります。

それは自身の老化と息子への負担です。

まぁ負担にもいろいろありますが、ただ「負担」と息子や奥方に思われる事そのものが、嫌な感じですね。

 

他人様には子供達は親の介護をすることの当然について切に語ってはいますが、自分の事となるとやはり「痴呆と寝たきり」は恐怖ですね。

先日のお取越しでのお話では「ボケちゃったもん勝ち」との諦観がありましたが、それはそれでやはりカチッと割り切れる考え方になりえません。

ベストな退場の仕方としては健康維持のまま「す~っと」電池が切れるように息をひきとりたいですからね。

それには「頭はハッキリ」の維持が肝要です。痴呆によって「あとは知らねぇからヨロシク」は「勝ち」にはならないでしょう。

 

その「痴呆と寝たきり」について、強烈としか言いようのない切り口で迫った書籍が出ました。

タイトルは「毒親介護~嫌いな親を介護できるか~」です。

兄弟姉妹のうち誰が老いた親をみるかなどもテーマになりますが、各家庭によって色々な状況はあるのでしょう。

そもそも自身を懸命に育て成長させてくれた親へ「毒親」と呼び捨てることの激しさとはいったい何なのか、「報恩」の気持ちは一切消え失せるものか私にはよくわかりませんが、せめて私自身はその「毒親」と呼ばれぬ方向を模索したいと思ったのでした。

 

さて、昨日の浮島観音堂にあった位牌に記されていたお寺は同じ小貫にある浄土宗意正院でした。

時間が合えばこちらの境内をブラついてきましたが、「寂静」雰囲気満点のお寺です。

本尊は阿弥陀さんであることはわかりますが、未だ目にしたことはないどころか、これまで人とすれ違ったことはありません。

 

車を停める場所がないのと注意していなければわからないくらい細い参道の奥に山門がありますが、まず参道入口に車を放置して山門を潜ります。

 

この山門と堂の間に大木が立っていますがそれが市の保存樹木に指定されている「ヒヨクヒバ」です。通称「イトヒバ」(糸檜葉)。庭園用に剪定管理する樹木で自然界に自生していず放置していればこのような大きさになるようです。

阿弥陀さんに次いでこちらの境内の主役ですが、どなたがいつ頃植えたのだろうと思いを馳せます。

 

こちらのお寺(場所はこちら)の前の街道は小貫の交差点を過ぎると平尾、内田の集落。そこは拙寺初代が初めて遠州に土着した地でした(本楽寺)。そこから小笠川・菊川を渡って塩買坂を通って相良方面に至ります。

能ケ坂砦はその方向からの侵入を押さえるために付けられたものでした。

 

①②は数年前の参道の図。③は10年以上前の図で茂っていました。大分見栄えはよくなりました。

①②④⑦にヒヨクヒバが見えます。