左の伏兵 adidasは3本 板碑といえば2本線 種子

世の中いろいろ人間のやることなすことのアホらしさ(勿論自身も含めて)にはほとほと・・・ニヤニヤと傍観しています。

それを受け入れる側や自分自身の中にある「まともな私」(他力による気づきとしての仏縁)からすれば毎度毎度のヤレヤレ感でしょうし、まぁそれもいつものことでしょう。

「どぉ~」ってことはないといえばそうですが・・・。

 

たとえば各大臣殿が有権者にいろんなモノを配りまくって、あるいは選挙カーのウグイス嬢に余計に報酬を支払ったりの公職選挙法抵触の疑いがバレてクビになった(実際は自分から辞表を出しての逃げ)ことや千葉県の知事殿が実はあの台風当日に自身の別荘に「公用車」で行っていたことがバレちゃった・・・などなど私からすれば「知らぬこと」のスタンスでありました。

直接の関係はまったくありませんからね。

 

ところがこればっかりは「腹が立つ」と思ったのは「週刊文春」( 2019年11月14日号)から。

その大臣職をクビになった河井法務大臣が大臣在職時に車両移動中、秘書に「急げ」と指示し80キロ制限の高速道路を60㌔オーバーの140㌔で走行させたというもの。

 

「へーっ」ですね。

法務大臣が法令順守の精神が欠落していたことは一応は「けしからん」とは思います。

しかしスピード違反など交通違反は誰でもやらかしますからまぁしょうがないか・・・などと。それにしても60㌔オーバーはいくらなんでもやり過ぎか・・・。

 

まぁほとほと呆れて腹が立つのはそれに対して御咎めをしない広島県警のあり方。

検挙しないということは容認したということですからね。

 

「今年3月には、麹町署の巡査が、警察官の交通違反を見逃したとして、犯人隠避容疑で書類送検されている。

一般市民の違反については厳しく取り締まる一方、政治家の違反は見逃していたとすれば、警察への信頼を失墜させることになりそうだ。」と上記取材で締めていました。

 

まさにその通りでしょう。

「ケーサツのインチキまかり通るの」一言ですね。

昨日は静岡県警で万引きがバレて依願退職・・・のニュースが地元テレビで伝えていましたが、その件は「まぁ人間だから」の出来心ということで「しょうがないか」というところもありますが、その交通違反に対する手心について政治家と身内OKのスタンスはあり得ないことです。

警察という組織、「庶民の敵なのか・・・」と感じさせられたワケで。

 

昨晩も賑やかだった覚せい剤や麻薬などに手を染めないマジメな庶民が刑事被害を除いてのケーサツとの関りは自動車で公道を走って道路交通法の令下に身を晒す時が主。

そんな際、良識ある真っ当な方といえば「安全運転さえ」心がければ交通違反のお咎めは受けないだろうと指摘されるでしょうね。

それは至極もっともな話でそれを言われれば私のような不届きものの躰の身としては反論の余地はまったくなし。

 

しかし、私の見て来た交通違反取締現状の意義というものを考えるに、交通事故の予防より、反則切符発行による資金稼ぎのようにしか見えませんね。

それがどちらでも見受けられる「待ち伏せ」の卑屈さです。

 

電柱の陰や街路の死角でかくれんぼ。

そのような姿勢で庶民の理解というものが受けられるのでしょうかね。

もはや「通行税支払いの御時節」くらいの割り切りでその何で検挙されたかの御説教を免れるために開き直ってさっさとサインをしてその場から離れるのでしょうね。

 

ちなみにその庶民の「60㌔オーバー」となれば一発免停。

また「6カ月以下の懲役または10万円以下の罰金」となるようです。

 

そこで先日目前であった話。

私は時折渋谷代官山の叔母の家を奥方の指示により見回りに行かされます。その時、そこからちょっと走った青山通りで見た件。

果たしてどのくらいの方がそれを理解されているかわかりませんが田舎者の私は仰天させられました。

 

車両運転者にとって交差点の右左折の際、どちらかといえば「右折」を注意することはどちらのドライバーにおいても肝に銘じているところ。交通量の多い場所は緊張もしますね。

時差式、右折専用の「→」等信号指示の通りに車両と歩行者に注意して進んで何とかクリアします。

そして「左折」。こちらは比較的楽にイケるというのがこれまでの頭の中のイメージ。

歩行者に注意しさえすれば問題なしでした。

 

しかし現在、都内学校近くの幹線道路では歩行者巻き込み事故の防止が目的ではあるのでしょうが、左折専用の「←」が設けられた信号が増えてきています。

要は青に変わって~それはしばしば歩行者信号の「青」に目が行きがちですが~歩行者がいなくなったからと車を進めてはイケないということです。

自動車用信号が「↑」が出ています。その際「←」の左折OKの信号が出るまで進むのはNG。

「信号無視」で切符を切られることになりますね。

 

私が眼前にしたのはそういった信号の手前100m付近で白バイが「待ち伏せ」しているところ。

そんな新しい道交法違反誘因方式の信号機が社会に出回っていることをドライバーが熟知していない間の荒稼ぎでしょうか、露骨な待ち伏せ検挙が横行しているように感じたのでした。

今がチャンスというばかりにね。

 

白バイ隊員殿は「前方信号機の監視などしていませんよ」くらいで別件「事後処理」をしているかの如くの待機姿勢ですのでカモは次々にやってきます。

「左翼の伏兵」(つい右翼に気を取られがち)が隠れていることに気づいたとしてもそもそも「そんなルールは知らない」という者をターゲットにした新手の信号機への進化があったのでした。

善良な市民は特に注意しなくてはね。

「ボロ儲けじゃね・・・」などと奥方と苦笑いして見ていましたが

待ち伏せ・不意打ちの奇襲作戦は何時の時代も日本国の得意技でした。

しかし庶民を狙い撃ちに対して、偉い人やお友達へのお目こぼしがあるのでは警察など誰も信用しませんよ。あの卑怯道を見ていて気持ちが悪くなりましたね。

その気の毒なシステムに動かされて動いている白バイ隊員に「南無阿弥陀仏」合掌。

 

以前、枕経(20分程度)に呼ばれた際、故人自宅前に置いた車に駐禁切符を切られたそのあと、その通りの茶畑では死体遺棄事件がありました(それだけ通行量の多くない場所)。

ビッシリと警察関係車両やマスコミ各社の車が駐車放置されていましたが「なんで取り締まりしねぇんだ」と大いに疑問を感じましたね。

その仕事にすべていい加減、テキトーしか感じません。

 

さて、昨日は関東に多い「塔婆」形式、板碑の基盤について記しました。この手の石塔系で角塔婆(塔身が方柱状で頭部が方錐体)というものがありますが川勝政太郎氏によればこの角塔婆の一面部分を主体拡大して板碑に・・・という流れがあるようです。

また笠塔婆というスタイルがあって文字通り柱状の石材の頭に「笠」が造形されるものがありますが、「傘が無い」というか欠損しているものがありますのでパッと見て「板碑」と早とちりする場合もあります。

笠塔婆は比較的新しい江戸期のものも出回っていますのでね。

 

やはりこういった石塔は古ければ古いほど感動を覚えるものです。

 

画像はすべて東京国立。

①永仁三年(1295)阿弥陀如来種子(しゅじ)

②元享四年(1324)阿弥陀仏立像 

③元弘四年(1334)阿弥陀如来種子(しゅじ)

④弘治元年(1555)阿弥陀如来種子(しゅじ)

 

私は誰が何と言おうと足元はadidasの3本線です。

板碑の頭(「額」)はといえば2本線(二条線 稀にそれが無いものもありますが・・・)。

関東はあまり好きでない地に成り果てていますので出遭う機会はそうありません。

よってたまに行く博物館で彼らとの絶妙対面が楽しめます。

 

最後の画像は渋谷道玄坂下の交差点。

何故か塔婆(108-とうば 実は109-とうきゅう)が立っているようにも見えなくありません。

となれば墓場か?・・・あの手の塔婆の如く高層ビルが建ちだしました。

私の学生時代といえばよくこちらで遊ばせていただきました。また東急ハンズの本店がありましたのでちょくちょくと・・・今はといえば「いけすかない」街に成り果てたという感。

 

何やら各イベントのあとのくだらない騒ぎをテレビで見てそう思うようになりましたがとにかく人、多すぎ。

できれば行きたくない場所。

本当にマラソンの件、札幌でよかったです。これ以上人を集めてどうするの?トーキョウ。

心から北海道を応援したいものです。

 

ここで板碑の能書きを。川勝政太郎氏によります。

「頭部を山形に作り、その下に二段の切り込み、額部があり、身部の下に根部を作る板状の石塔である。この形式は鎌倉時代前期以来、板状の緑泥片岩を産する関東において大流行した。本来は板状の塔婆なのだが板碑と呼ぶ習慣になっている。塔身部の広いことは本尊をあらわし、文字数の多い銘文を刻むのに適している。形は簡単だがこの特徴が世に迎えられたのであろう。

しかも花崗岩・凝灰岩などを使って作られた厚みのある板碑も全国に散在する。」

尚川勝氏は以下「種子」リンク先ブログ、居神神社で紹介している「板碑」等、自然石のものは別カテゴリーであることを主張しています。

 

種子」=しゅじ・・・「種子字」のことを言います。

私ども浄土真宗にその概念はまったくありませんが密教系の流れには諸仏を梵字一文字で表します。

②画像のように阿弥陀さんの像を丁寧に線刻するよりも仏を表す種子字一文字をど~んと中心に置く方が工数も減って石工も手間いらず。

少なくとも六字の名号を最有力の墓碑とする私どもからすれば工数は1/6ということになります

蓮台も削っておけば敬意もうかがえますし見る者がその種子字を理解できなくても「仏」であることは推測できますね。

 

阿弥陀仏の種子字は画像の通りです。