特筆すべきは墓碑の存在 桜ケ池のほとり

テレビから流れる大阪の皆さんへのインタビューを聞いてニヤリ。関西電力のお偉いさんたちの破廉恥な態様についてのコメントですが、歌舞伎調の台詞でいえば「どいつもこいつもみっともねぇありさまだなぁ~」。

そもそも「死人に口なし」でしょうよ。

当方その件電気代の支払いはありませんから外野としてその顛末を嗤ってみていればいいのですが、まぁその手の事は現代であっても普通にある事とわかりましたので、その他の原子力発電所のある自治体と電力会社との癒着とカネの還流について洗いなおし、また監視していかなくてはなりませんね。

 

特に今回の件、税務面からの数字合わせの齟齬からバレたといいますので、地元工事受注会社で突飛に売り上げが伸びている会社や社内取締役の顔ぶれ等を今一度洗いなおす必要があります。それにしても関西電力管内の電力消費者は人がイイ。

香港ならばきっと火炎びんが飛んでくるかも知れません。

そしたら鉄砲で撃つ ?

 

さて、浜岡池新田の桜ケ池といえば国道150号線からも大きな朱色鳥居がその参道入口を案内するように大概は池宮神社のことを言いますね。

しかし厳密にそうは言っても昨日の如く地蔵や観音さんの石仏が散見できます。

 

まぁお寺に鳥居があることは明治以前の神仏習合の流れから珍しいことではありませんが、神社に石仏や墓があることは稀のように感じています。

 

神社は死を穢れとしますので墓が社内に無いというのがだいたいのところ。まぁ寺であっても古来は死者(死体)はその排除の対象になっていましたが・・・

死者は非差別階層の者に山や谷の荼毘所に運んでもらい、やはり時として民間の「乞食僧」等に読経を依頼、そのまま鳥や獣に食わせるかおカネに余裕のある人は荼毘に付して遺骨を持ち帰り葬るなどしました。

 

その辺りから墓地や墓石というものを作り先祖に畏敬を表して参拝の対象としてきたという歴史がありました。

鎌倉仏教が興って以来、その亡き者の取り扱いについて、システム化し受け入れてきたのが「寺」であって、それが現在に繋がっているワケですね。

 

というわけで古い形態をそのまま維持している神社境内には「墓石が無い」というのが通例でしょう。

よって昨日の如く仏式の祠があって仏石が並ぶという風景は珍しきことですね(ただし近江などの神社境内に仏式の宝塔などが建っている例はあります)。

 

その桜ケ池の最も東側、昨日画像の祠の先に仏式の新しめの仏塔が二つ建っています。

向かって右に皇円阿闍梨の宝篋印塔、左に法然さんの五輪塔です。

 

そもそもこの池といえば平安末の嘉応元年(1169)比叡山の皇円阿闍梨が龍に姿を変えて、桜ヶ池に入ったという縁起。

そののち彼の弟子の法然が訪れたといいますね。

 

皇円阿闍梨と法然という二人の仏法僧に関わる桜ケ池の池宮神社たる由縁です。

尚、法然さん繋がりで当流御開山親鸞さんもこちらに立ち寄って参拝したとも伝わっていますね。

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コメント: 2
  • #1

    がつお (木曜日, 03 10月 2019 21:53)

    ブログの内容と少し話は違うかもしれませんが。
    以前ご先祖様の関係で甲賀のお寺に行った際に、その地域では各家のお墓には遺骨を入れずに地域で別の場所にその近辺の人の遺骨を一括で保存している場所があるんだと聞きました。
    一昨年父が亡くなり我が家のお寺に骨壺を持って行ったのですが、そこまで大きい墓で無いため既に満杯で父の骨壺が入らずに、ご住職から以前のものも合わせて袋に入れ替えて入れておくよと言われて甲賀地域のやり方もアリなのかなと少し思ってしまいました。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 03 10月 2019 22:59)

    ありがとうございます。
    甲賀地方の埋葬方法について初めて聞きました。初めから合葬のスタイルなのでしょうか。あとあとになって悩まない分いいかもしれませんね。
    拙寺も私ども宗派もその統一性はなく、まちまちというのが現状ですが、やはり今、納骨の際にあたふたとしてしまうのが、各家墓塔カロートのキャパ(容量)がフルになっていて納骨(詰め込み)が不可能であることがその時になって判明することですね。

    ちなみに以前の墓といえば瓶に納めるというのが一般的で、時代を経れば代々の遺骨が積み上がります。多少の溶解もあって減りもしますが容量の限界を超えてしまうのです。
    また、以前と違って火葬のコントロールが適しているということと、亡き人の栄養状況の良さもあって遺骨の残存はまずは骨壺1個分は出ます。

    私の代になってから新設の墓地について、地面に設置する場所を作り、瓶には入れないよう御注進させていただいています。
    中には墓を「もう一つ」などと求める人もいますが、まずは墓地改葬して瓶を取り除くことを勧めています。
    基本的な考え方は「私たちは海に生まれて海に帰るを旨とする」ということで。