木曽川と長良・揖斐川の上 伊勢長島の野亨寺

昨日は昭和34年の台風15号、「伊勢湾台風」から60周年ということで高潮浸水対策の討論会議が開かれたというニュースが流れていました。

当時の伊勢湾地区の被害経験を得て格段の対策はとられていますが、当時慌てて整備された堤防等の施設は当然ながら半世紀という時間の経過もあってその劣化と更新の必要性、現状次の災害への対応は万全なのか・・・話し合われたようです。

コンクリートの劣化に関してはどちらにおいてもこれからのテーマですからね。

 

会議の主体は名古屋経済界のようで、住民被災の立場というよりも港湾・空港運営など経済活動の継続と防衛のための話し合いだったのでしょう。

まぁ今回の千葉の件で連想させるに河川に囲まれた低地ならずとも湾内閉塞地の台風進路の結果について、特に進路東岸にあたった場合の知多半島の海岸沿いの被災想定は想像以上と思われます。特に中部国際空港は海の上、大阪空港の二の舞が頭をよぎるでしょう。

そして最近の台風被害というと停電への脆弱性を出現させていますがトヨタ系工場の多いあの地ならではの危機感があるでしょうね。

 

伊勢湾台風は死者不明5000人以上を超えた強烈なもの。

先日は「100年に一度の大災害」なる件、記しましたがまさにこの台風はその100年クラス。

それが「1.5℃の気温上昇」「あと10年」で毎年その手のクラスの大型台風がやってくるといいます。

 

さて、あの辺りの「輪中」と周囲より高く造成した家々を見たのは長島城周辺と長島一向一揆の旧跡を歩いた時でしたが、その際たまたま真宗大谷派の野亨寺(やこうじ)があってちょうど日没時、足を止めて本堂にご挨拶させていただきました(場所はこちら)。

 

寺標の脇にある由緒書を見てもこの地が天災に悩まされた歴史がある事がわかります。

 

最後の画像、赤地交差点から見た伊勢湾方面となりますが、野亨寺はこの先の右側になります。

ちなみにこの「長島」は低地帯であることは見ての通りで画像左側に木曽川、右側に揖斐川と長良川が合流したあたりという際どい立地となります。