動き回らず静かにしてれば暑さに勝てる ? 老子

昨日は午後からの約束がありましたので午前中はあまりムキにならない程度の雑用。

といってもこのところの毎度お馴染み軽トラ荷台の作業台にて物置の棚の製作取り付けを。

 

そこに来られたのが「マキノハラTV」のクルー。

ブラ田沼の「まとめ」を・・・とのことで本堂を撮影して帰られました。

今回は初めてドローンの登場。

鐘楼前から上昇して(といっても控えめの高度)本堂正面からの図を撮影していました。

9月になってのアップ予定とのことです。

 

午後からは布施氏が蔵出しの書を4~5点ほど持ってこられました。何点かあるうちの一つ、私的にコレと思うものをはじめに叔父に画像を送付して検証依頼。

叔父も言っていましたがこの手の書はたくさん並べられたものよりも3~5文字で出典がわかるものがイイですね。

 

こちらは「明治辛卯」―明治二十四年―と最初の文字「静」はカンタンですが落款印ほか暑い中あれこれ推測するよりも叔父であれば瞬時ですからね。

 

電話で即答「静勝熱」の書。

先日の高橋泥舟の「閑有趣」にも似ているような・・・

そのあとが「明治辛卯初夏」に「秦山人書」。

落款印は「土方久元」「秦山樵夫」です。

「秦山」は土方の号ですね。

 

土方はのちに宮内大臣となっている人で土佐藩勤皇派。

澤宣嘉らと七卿落ちに従っていますので土佐といえどもチャキチャキの長州シンパ。

布施家には明治二十九年に小松宮彰仁親王が布施家にやってきたときのお土産として有栖川宮熾仁親王の額「希世之寶」がありますが双方とも皇室方尊王先鋭で特に有栖川宮は長州閥に担がれていた風を感じます。

 

ちなみに「世の稀なる宝」とは・・・石油のことでしょうか。

ただしその頃と言えば大分石油の産出については下火になりかけているあたり。

とはいえ戦争遂行にはうってつけの材料ですからね。

 

明治期の相良はカネの成る木、石油の匂いを嗅ぎつけて色々な人が布施家に集まっていたようです。

当初は薩摩の海江田信義らでしたが・・・。

 

その「静勝熱」の出典が「老子」-清静為天下正

 

大成若欠 其用不弊

大盈若沖 其用不窮

大直若屈 大巧若拙 大弁若訥

躁勝寒 静勝熱

清静為天下正

 

「大抵の『大なるもの』に見えるいろいろ、本当はロクなものではない。静-動織り交ぜてうまいことやるがイイ  (ただし清静が好き)

 

私のテキトーカンタン意訳です。要は「型にハマるなこだわるな」と勝手に頷いています。解釈もいろいろあって可。

 

相良における近代歴史史料がまたも出てきたワケですがこちらは残すべきものと思いました。勿論ご判断は布施さんですが。