長篠設楽原 八釼山 家康の本陣 連吾川とは反対

横浜の息子の法事で「今日は先方様ご自宅へ」などと言われるとホントかよ・・・です。あの調子でどうやってうまいことやって過ごしているか・・・です。

私の地元と違ってその法事の現場は彼にとって毎度「お初」ですからね。

初めての家にナビ一つを頼りに向ってお初にお目にかかる方たちが集まっている中に「ハイハイお邪魔しますよ」という感じで身を投じているとのことですが、どういう面下げて先方にお邪魔しているのでしょう。

当家の七不思議の一つです。

ただただ図々しさとノー天気の血脈と思うほかはありません。

 

中にはその件、ハードルが高いと思ってか若僧が頓挫する理由になっています。

そういうことからいって店員がお客に育てられるのと同様、坊さんは檀信徒に育てられるといっても過言ではないでしょうね。

世の中狂気とも思える事件ばかり溢れているように見え何事も住みにくさ、やり難さを感じはしますが、案外大抵の「世の中」というやつは鷹揚で寛大なのかと思わせます。

「拾い上げられている」を実感していますね。

 

以前「檀家を教化する」くらいの事を言っていたご住職連かつていらしたように思いますが実は「育まれている」ような。

教化されているのはこちらの方ですね。

ちなみに初めて行ったお家でヘマをやらかして味噌糞にヤラれたとしたら一気に仕事に対する熱意は消沈しますし、人によっては立ち直れなくなりかねませんからね。

 

また恥をかきに行くくらいの余裕のスタンスが必要であると思ったのでした。ある意味「バカ」でなくてはそれができないのかも・・・私も息子もそっちの方はバッチリです。

身を投じて疑わない、南無阿弥陀仏のスタンスといったら言い過ぎか。

また息子の背中を押してくれるお寺も当然に「恥」はお寺にかかってくる事ですのである意味覚悟の教育なのでしょう。

 

さて、この夏の間は「閑有趣」の時間はほとんどなし。

機会があればどちらかに行きたいのはやまやまですが、まだまだやるべきこと山積。

現在手掛けている物置製作は最後の扉が付いて外観は殆ど完成しました。しかし棚やら隙間の対応、シロアリ対策もまだ。ベースはコンクリートを打っていますので木材の劣化は防げますがシロアリは上がってきますから。

 

そのあとの予定としては鐘楼手前の槙の垣根の剪定作業が待っています。

今年は毎夏の静波墓園剪定の担当者(息子)が不在のためボサボサです。どこもかしこもまったく手に負えません。

まぁそういう時はただただ「放置のみ」ですが。

 

ブログの方は適当に以前の画像を見繕ってアップしていますが長篠についての画像はまだ豊富にあります。

そのあたり以前「長篠の有海 松平伊忠」にて触れていますがあちら周辺の遺構は山ほどありますからね。

織田・徳川連合軍が武田と雌雄を決した戦いでしたからね。

 

たとえば以前記している長篠設楽原合戦の八釼山家康物見陣の西側後方の家康本陣跡。

同じ家康の陣であっても戦場(連吾川)側の物見ではなくその段丘の反対側になります。

戦況不利の場合を想定しているのでしょう、大将の撤退はラクそうです。八釼神社手前にその石標が。

新城市立東郷中学校の裏という位置ですね(場所はこちら)。

 

こちらには八釼遺跡なる標識が⑦画像。奥が八釼山と中学校校舎。

中世の田畑集落か溝と土杭の遺構と陶器・古瀬戸(椀)土師器(皿)の類が出ているとのこと。