見かけて急ブレーキ 五輪塔 海老名大谷八幡宮

昨晩はNスぺ「拝謁記」を視聴しました。

昭和天皇の「戦争への悔恨の一節」を「削除したい」の政治感覚はとても不愉快でしたね。

 

天皇は「その意思に反して行われた戦争」と「反省」の文言を入れたかったのでした(サンフランシスコ条約締結における記念講話に)がその件曖昧なカタチ、うやむやにすべきとの判断がされたのでした。

 

文言を「ぼんやり」させたいという吉田首相らの意向だそう。それに対して昭和天皇はかなりの不満を抱いたようでしたね。

 

私は現憲法下であっても天皇の意見というものがたまにはあっていいのかと・・・少々政治的であってもね・・・。

政治家に「担がれて」(昭和天皇もその言葉を使っていました)国政を好き放題されるのは御免でしょう。

 

さて、昨日は午前の法事のあとのお斉から帰ると、奥方から「これにてお前さん、いつ亡くなってもOKやな・・・」と(時折関西弁らしき語を好んで使います)。

すると横浜のお寺で御厄介になっている当家愚息が「本日初の単独葬儀厳修」との報告。

 

エベレストの無酸素単独登頂の快挙ではあるまいし・・・とは思うものの、法要ならともかく葬儀では脇僧とでしか務めたことが無かった若造ですからね。親ばかとしてはその成長に一応の感慨があります。それにしても早すぎますがね。

まぁ葬儀を依頼された施主ほかその家の縁者からしたら小僧の差配に「たまったものじゃあない」かも知れませんが、考えてみれば今の私であっても「そうかわらないかも・・・」です。

そもそも私ども親子は「恥をかいて育てられる」がモットーですからね。

「ありのまま」で一所懸命におつとめすれば通じるのでは・・・と勝手に思い込んでいます。

 

私の携帯にも彼からメールにてその連絡がありましたから、本人充実と高揚感があったのかも知れません。

「かなり緊張した」と記されていました。

それにしても私の彼の年でしたら絶対にありえないことでした。やはりある意味当家限定ですがエベレストクラスの快挙とも思えてきました。

 

先方のお寺さんにもそのようなご配慮をしていただいて(育てる)大変有難く思います。

彼もこの初心の緊張感を忘れることなく経験を積んでいってもらいたいものです。

「今後ともよろしくお願いいたします」というのが今の気持ち。

 

画像は4月に横浜の彼のアパートに引っ越し手伝いをした帰り途、道路際で見かけた五輪塔に立ち止まってのご挨拶。

例の「静態視力」の長であると隣の奥方に自慢したところでした。

 

大谷八幡宮とのことですが①五輪塔がある②梵鐘がある

という点珍しいことですね。

他の石塔類は神社御神体等に使用されるタイプ。

 

②梵鐘はともかく、五輪塔は「墓」です。

一応は境内の中というか鳥居の外側ではありますが、神社というものは「死」(穢れ)をきらうものですからね。少々違和感アリ。境内の中でしたらパスしていましたが・・・。

 

神社創建の時代から考えると神社の創建前からこの地に建てられていたと見るのが妥当の線でしょうか。するとどなたの墓?と考えるべきですが、この地の歴史に詳しくない私はご挨拶して退散。

この神社は大谷歌舞伎なる縁日で有名だそう(場所はこちら)。

この辺りは奥方が幼少期に住んでいた場所とのこと。

神奈川県人でした。