ぶらり小笠山砦 尋常でない雰囲気に退散は正解

昨晩のテレビ小僧は彩色復元された大坂冬の陣図屏風の特集番組。何度かテレビ放送されています。

城内の大工やら物売りの賑やかさについては面白いところ。

新発見の大手門前の馬だしとそれを囲む堀の様子、堀の中を歩く人たちに徳川方が堀に出張って築いた射撃用の土塁から判明した堀の水位の低さ、これは徳川方が事前に淀川の流れを変えての工作が推測できます。

 

番組のポイントは「誰がこの屏風の発注者か・・・」というところですが色々な観点から推測されていました。

この手の屏風図というものは「我が家の活躍」について後世の語り草として製作されるものですから。

 

依頼者・理由等不詳ですが、出自を隠す必要性がありかつ大坂城の描き方が美しいことから大坂にシンパシーのある者、それでいて旗指物について大坂方の各武将は曖昧ながら徳川方については詳しく描かれていることがあげられていました。

 

当然に真田信繁の活躍が華々しいものがありましたので兄の松代藩主真田信之の声があがりますが、当時「色々怪しい」の嫌疑がかかっていただけにこの手の物を製作することはあり得ないとして早々に却下。

そして屏風右下に乱立する九曜紋について、この紋は細川家から借りていた伊達家臣片倉重長といいますのでそれは面白い着眼でした。信繁の娘を引き取って自身の嫁にしたのが片倉重長でした。ただし伊達としてもそう豊臣シンパシーを露骨に顕わにすることはできないはず。

 

また屏風内の構成と描かれ方から徳川秀忠、そして元は秀吉恩顧の蜂須賀至鎮(よししげ)仕舞には千姫まで推測は広がっていました。

最後に挙げられたこの千姫には一同「あり得るかも・・・」と頷いていました。

 

それにしても最近NHK頻出の城郭考古学の千田嘉博先生に歴史界の「さかなクン」を思いましたが・・・

 

さて、昨日は15日に山陽新幹線が止まるというニュースがあり「それじゃあ・・・」ということで帰省中の「奥の墓道」氏を在来線の駅に送ろうと声をかけました。

お昼ごはんを掛川の道の駅で食べようという事で。

 

すると彼は帰るのは明日にすると。

いつも事前に早めに対応、リスクはできるだけ回避しようという彼がよりによって人がごった返しそうな15日にUターンするというのですからね。

まぁ様子見てということでヤバそうだっったら16日というのもアリだそう。

 

掛川から帰宅する途中、三の姫さま(こちらも)の墓を仰いでから、彼がこれまでの城攻めでかつてないほど恐れおののいた小笠山砦の非正攻法の馬の背コース、のスタート箇所、池のつり橋あたりまで行ってみようということで寄ってみました。

ところが前日からの降雨で湧き水と池から溢れた水の尋常ではない流れと100%に近い湿度にこりゃヤバイ・・・「今日は帰ろう」と瞬時に引き返しました。

 

車に戻って数分後、かなりの土砂降りが来て、我ながらの好判断に隣の墓道氏に「諦めるときは諦める・・・わかる?」と偉そうに語っていました。

 

これは車中テレビからある事件で逮捕された人が自身主張のあとに癖のごとく「わかる?」「わかった?」と連呼していたことを面白がってオウムの如く使用したものです。

今回はなんとか英断により中止。

「わかっちゃいるけどやめられない」は本来の人間のありようですから、「わかる?」などと念を押されてもねぇ。

 

車中「自分は大丈夫」(慢心)が「自らの足をすくう」ことを理解する(わかる)こと・・・無常はどこにもかしこにも転がっていることを知る・・・が肝要だと。

いつもヤバイ、死ぬ・・・と思って行動できれば命だけは永らえるのでしょうが、その生き方もいたってつまらないものがあります。

 

下記画像が屏風の彩色再現の前と後。

ドアップ画像、欲しいですね。