小笠山砦(笹ヶ峰御殿)から掛川城・高天神を

17万キロ乗った四駆のテールランプカバーを藪のポールで割ってしまったあの小笠山砦(笹ヶ峰御殿)を。

位置は先日記した孕石城を参照。

 

笹ヶ峰御殿の呼称は徳川家康が永禄12(1569)年逃げ込んだ今川氏真の掛川包囲網の城で家康が長期滞在を覚悟してこの山の上、小笠神社等の社の並びに「御殿」と呼ばれる砦を作ったのが始まりです。

そして天正9(1581)年の高天神城攻めでは高天神城を取り囲む高天神六砦の最大規模の砦となりました。 

 

標高も250mと六砦の中で一番高く、高天神城は勿論、殆どの砦群を掌握でき南は駿河湾、北は掛川城が望める場所で指揮系統の中心的役割にあったと考えられます。

もっとも家康は浜松城への海岸沿いを脅威に感じて横須賀城を建てて高天神攻撃の橋頭保としていますが・・・

 

登城は西側からの登城口、北側掛川方面からの登城口と色々あるようですが南側神社参道側からが駐車場もあって殆ど最後は階段での登りで一番ラクなコースです。

年配者、女性陣はこのルートがお勧めです。

こちらは正攻法ですが「本来の」というか山城の醍醐味を失してしまいますのでここでは強者向けの難所コースを紹介いたします。

安直な神社参道を利用しない方法ですが命の保証は出来かねますのであくまでも自己の責任でお願いします。

 

また谷底に滑落しても誰も救けに行けません。

というかここに記しておきながら付け加えますと、このコースは行かない方がイイですね、やはり。

崖道ですのでかつて私は友人ら二名ほど案内しましたが双方とも異口同音に「二度と行かない」と怒りをぶつけていました。

 

なぜならこの道はかつて大東町管理時代の登山道で掛川市になってから無管理の荒れ放題の道(というかかつて道だったであろう崖道) です。

崩落個所、倒木等各所に有って深い谷にそびえる幅10㎝くらいの馬の背状の尾根の箇所などは友人は這って進んだほどです。

よって行政の方では「これより先、行けません」風の標識や鎖などで先に行かせないような努力はしている様です(事故が起こったら管理責任を問われますので)。

しかしそれらを無視して勝手ながら自己の責任において進みます。

 

途中急な崖にはご丁寧にも、どなたかがロープを用意してくれていることから時折そのルートで登城している人がいる様ではありますが。

 

行き方は土方の高天神前バス停前の道から掛川方面を目指して北上し入山瀬地区に入ると薬師堂が脇に建ち、右に掛川、左に法多山方面に抜ける道があります。

 

注意して見るとその道の間に2、3の農道があり、右側の舗装道が小笠神社への道、左の方がため池の下の駐車場へ通ずる農道です。

 

駐車場からは階段を上がり、左手に池を見て右側の崖の崩落と流れ湧き出る水に足元を気にしながら吊り橋に辿りつけばあとは登るだけ。

吊り橋がわざわざ懸けられていることからかつては登山道があったことがわかります。

確か「このはし渡るべからず」とは無かったと思います。山登りはすべてそうですが、こちらの登攀も自己の責任において挙行してください。くれぐれも。

 

登りきればいきなり砦の土塁の上に通じます。その土塁の南は深い崖で北側は空堀が廻らされています。

途中馬出し風の曲輪、堀切等遺構を目にすることができます。 

 

展望台の案内板の通りに上ると掛川市内が一望できます。

数ある掛川城の紹介画像の中でここからのアングルはそうは無いですね。

「OOを探せ」ではありませんが掛川市内を眺めて掛川城を探してください。

しかしこの位置から掛川城を確認するには相当の根気と視力が要ります。

 

もしかして、このブログを読まれて小笠山砦に上ってみようという奇特な方がいらっしゃるかも知れませんので念のため掛川城(画像青O印)の探し方のコツを記します。

それは「赤白ストライプの鉄塔」です。

その鉄塔の右後方スグが掛川城ですのでまず鉄塔を探すことです。

双眼鏡等持参できればより感動があるかと思いますよ。

 

また神社参道のコースも階段は急ですから油断は禁物です。