原爆74年に思う 大江避難山 相良氏城館址付近 

最近は時間がある時は大工仕事。

駐車場の車庫物置に押し込んでいるテントの部材を境内で管理しようとその物置を作っています。

出したり入れたり・・・の利便性のアップです。

炎天下の蝉の声のやかましさの中、少しずつ素人仕事を進めています。

 

当初は土蔵を壊した後に建てた物置(避難タワー)に入れる予定でしたが、それはヤメ。テント関係とスコップ類を入れる物置を新設することにしました。

 

ここのところ日中にお参りに来られる方はまばらになりましたが昨日はことに少なかったような。

「お暑うございます」の暑い!暑い!が挨拶の言葉になっていますが、私はあまり大きい声では言えませんが「生きている」を実感できる季節で暑いは大好き。

汗だくになってヘロヘロに疲れて飲み干す飲料と奥方が外にいる私にこの季節ならではの好物「イチゴ練乳かき氷」を持ってきてくれるこの極楽、今しか味わうことはできませんね。

 

そのかき氷を口にした瞬間、私の空想は沖縄恩納村のリゾートホテルのプールサイドに飛んでいます。軽トラの荷台がデッキチェア代わりです。

 

その朝は恒例となった「鐘撞き」のご担当が来られて、「ああそうか今日は・・・」とその件忘れていた私に恥じ入りました。

鐘が撞かれてしばらく、私は本堂に行って今一つお念仏。

 

昨日8月6日は広島に原爆が落とされて74年目でしたね。

多くの人たちの命日です。

だからその日だけは「暑い」の言葉は控えようと・・・

あの方たちの事を思えばこの私の「みんな忘れて生きて楽しく」が「卑怯」に感じたからでもあります。「暑い」を通り越した「熱い」と激痛、喉の異常な渇きに「死」というものは筆舌に尽くしがたい。

それを忘れて「甘っちょろい」から何事も軽口が叩けるのですね。

 

原爆資料館のリニューアル(生まれ変わった原爆資料館)について昨晩はNスぺを視聴。

内容は強烈に私の反省を促しましたし、その前のニュース番組で見た大林宣彦監督の「私は映画で・・・ 貴方は何ができる?」の言葉にも・・・

無力ですが、とにかく「生かされている」ことを感謝して日々過ごしたいと思います。

 

しかし世に変てこな「NHKをぶっ壊す」などという奇をてらった人たち、というかお払い箱になった政治屋を集めているリサイクルグループがありますが、単純に「何処からカネが出てるの⁇」が不思議。

NHKの番組はなかなか他では作れないイイものばかりですし私としては壊されちゃあ困りますよ。

 

私のガキの時分にはその視聴料などは払った覚えはありませんでしたが今は銀行引き落としでお願いしています。

集金も昔は弱い者には甘いところがあってギャースカ言うほどのことではありませんでした。

今流行りの(なんでもかんでも大流行り)「正論」対「正論」でぶつかれば「法」が後ろ盾にあるNHKですからね。

私は「NHKをアホから守りたい」というところ。

 

画像は大江の相良氏城館址付近にできた避難山(場所はこちら)。

萩間川(相良川)の砂洲状の低湿地で、住宅地も広がります。

この地区にそういった構造物ができるのは合点がいきます。

歴史上、「何も残っていない」空白地帯ですからね。

これは「何度もヤラれた」ということだというのが定説。

もう少しカサがあってもいいかと思いまた。

最後の画像の右奥が拙寺の方向。

以前武田水軍推定地について記しましたがそちらより少し上流になります。