馬場美濃討死の橋詰殿戦地 藤生(ふぢう)道緒巻桜

不祥事に対して一律「トップが辞めればそれでイイ」というワケではありませんが、今回の件「それ辞めるべきでしょ・・・」と思うのが「かんぽ生命」のえげつないやり方の責。

 

これからの調査でまだまだその手の悪さが出てきそうですが現状「顧客に不利益を与えた疑いのある契約」が約18万3千件との唖然呆然の数字。

まぁまともな会社のやることではありませんね。

顧客(無知に付け込んでテキトーな書類を作ったり二重取りとたり・・・顧客とは爺さん婆さんのことですね。

おカネを持っている弱者からむしり取る・・・ワルよのぉ・・・殆ど犯罪ですよ。会社自体不要、退場モノレベル。

 

それを長門某とかいう「しゃっちお(社長)さん」の責任は?・・・と問えば「職責をしっかり果たすことが経営責任の取り方」ですって。ここは笑うところですね。

どうせ次々出てくるあれこれに対処できずにその大事な職責とやら、いづれブン投げちまうところ大いに想像できるのです。

 

「社長さん」とやらのお仕事とは、社員を自由に動かしてただその責を取ること。あんたが辞めてもどなたか知りませんが「次がいる」ということをご存じない?。

会社としてのケジメはまずは先決なのです。

それがすべて正解とは言えませんが昔でいえば一人「首を差し出しておしまい」というヤツでシャンシャンというのが日本の文化。

その件ご理解いただけない、まったくもって未練がましい御仁です。

 

まぁワルという役柄、ロクな死に方はできないというのが昔からの因縁譚。非道には仏罰が落ちるという道徳観が控えています。

最近はそういった何かに手を合わせたり畏れたりすることなく、自分本位に生き、保身主張のみをして、人は高慢ちきになってしまっているようです。

自分を殺して他を生かす・・・ではなくてズバリ自分だけ生き延びる処世術です。

ああおそろしやおそろしや・・・

 

さて、昨日の意表をつく看板の設置場所は「橋詰殿(しんがり)戦場」なる場所でした。

橋とは「長篠橋場」なる寒狭川(豊川)に架かる橋のこと。

看板の文言の通り、近くに馬場美濃の討死の地といわれる藤生道(ふじうみち)の緒巻桜があります(場所はこちら)。

勝頼を逃がすために殿(しんがり)として奮戦、無事に逃げ延びた勝頼の後ろ姿を確認するや、刀を置いて首を討たせたといいます。

 

「もはやこれまで」的武士の諦観は清々しいものがありますね。命乞いの見苦しさはありませんし・・・。

以前「諦めること」は「明らめ」であり「明かにする」ということ。これこそ大事な生き方である・・・などといったことがありますが、すると「子供の教育によくない(諦めるなんて・・・)」注文を受けました。

それとコレは関係ないところです。

 

昨日の「看板」に戻りますが、戦国時代含めて「遺恨」があるだろうことを感じる場所は数多残りますね。「遺恨」というか人々が壮絶な死を迎えたということでしょうがね。

そちらに限らずもっともっとその扱いについて「激しい」と思える場所はあります。

 

こちらは森が広がって静寂な空気が流れていますが住宅地・繁華街の喧噪や人間界のドロドロといった環境と化しているような場所はいくらでも。

すると今ある理解不能・意味不明の人間界あれこれの原因はその「怒り」がそうさせたのだ、などと少しだけ考えている自分があったりします。

まぁコレは現代人に崇敬と祈りによる謙虚さが欠落しているということですがね。他者の意見を聞かず、多様を認めようとしない自己主張のみの姿です。

 

長篠城近隣の「中央構造線露頭」(またはこちら)入口近くの馬場美濃の石碑はその首を埋めたといわれる首塚です。

長篠城近く、そちらはとても訪れやすいのですが藤生道は少々わかりにくい