長篠城のパターン 馬場信春の墓 中央構造線露頭

1年のうち昼間が長いこの頃といえば、外遊びに気合が入るというものですが昨日のこの地域の豪雨は久し振りのもの。夜明けから日没までずっと降り続きました。まるでこれまでの降雨無しの梅雨の帳尻を合わせるが如く。

こういう時にはこういう仕事・・・と、私はスコップ片手に境内の排水溝の清掃を少々。寒いな、と思った時が終了時間でお気軽。

 

温かいシャワーを浴びたあとスマホにアラームが入っていましたが土砂降りの中榛原方面でのお昼の約束場所に向かいました。予約をされていることはわかっていましたからそれは仕方ない事。

仕方ないといえば昨日は「商工会女性部」主催の日帰りバスツアーがあると聞いていましたので、ひとえにそれは気の毒なことだと思いました。

 

何かしらイベントを企画する際、「雨」だけはカンベン願いたいところでただそれだけを願って「天を仰ぐ」ものではありますが、コレにはまた絶対はありませんので「雨が降ったら降ったなりに楽しめばイイ」と開き直るしかありませんからね。

それにしてもロクな一日ではなかったですね。

昨日は久々に乗った新幹線について記しましたが、夜遅くまで架線の切断の影響で停車したままでしたし第2東名も通行止めになっていました。

 

さて長篠城に寄った際、2回に1度は馬場信春(信房)の墓まで歩きます。長篠城に車を停めたら絶対に徒歩で向かいましょう。

ほんの少し歩くだけですからね。

ここで色気を出して「車で・・・」などと思うと酷い事になります。ハッキリ言って長篠城から馬場の墓まで車両進入はできません。馬場美濃の墓参りは前回も記しましたように自己の反省のためですね。それは「聞く耳」に関してでした。

これを「私の金盥」といいます(私の造語)。

「盥」は「たらい」と読みますので「わたしのかなだらい」。洗面器です。

この字は学校では習いませんでしたが、それは社会に出て習わなくてはいけないことです。

 

「盥回し」という責任転嫁の比喩がありますが、私の思うそれは「大根屋」(節談説教)からです。

「心の垢も洗う金盥」、心にまた響きますが、人はいくつその盥を持てるかでしょうね。

エライ人鼻高々の人というものは自己保身からの「盥回し」に限って得意技。しかし自分の心の垢を洗う肝心の盥は持ち合わせていないというのが実際。

やりたい放題なんてもってのほか。

 

生きていれば当然に濁ってくるものですが私は色々な場所に「なむあみだぶつ」の置き盥をして適宜出向いては心身を洗わなくてはなりません。

 

さて、馬場信春の墓の先にはポツンと看板が立てられています。

「中央構造線露頭」の案内板です。これは九州から関東まで列島の真ん中を東西に走る断層のことで長篠周辺の豊川、宇連川沿いにそれが通っているとのこと。

この近くではその断層が露出している崖を見ることができるということですね(場所はこちら)。

 

説明板によれば「外帯の黒色片岩」の上に「内帯の花崗岩源圧砕岩」が覆いかぶさっている様子がハッキリと確認できるところが特筆的なところと。

ざっと見る限り「外」というものが「内」(下)にあって「内」と称されるものが外(上)にあることからかなり大昔に「尋常ではないこと」が起こったことだけはわかります。

それこそ「天と地がひっくり返る」ような状況だったのでしょうが私がアレを見た時、単純ですが「今後もこういう事が起こったりするの?」でした。

 

下図は昨日の私のスマホに入った避難を促すメール。そして帰り際にちょっと寄ってみた萩間川下(流)から上(流)です。

左奥が相良庁舎。