街区にさりげなく立つ宝篋印塔 妙法寺町自治会所

奥方は私よりもずっと「すばらしい」という息子が就職して4か月目に入りました。

まったく将来のことなどわかったものではない「一寸先」であることはわかっていますがとりあえず「社会人」として(本人の口からそれが出た)自覚、独り立ちできたことはとても有難いことです。

 

私としては私の二の舞、「いつでもどこでもケツまくっちゃう」お気軽、超楽観の「まぁ何とかなるさ」的生き方を送られ、もしかして苦渋生活につながるというのであれば親としても辛いものがありますからね。

世に「ひきこもり」なる言葉が行き交うようになりましたが、そもそも坊さんなどは寺に引籠っているのが仕事(住職)のようなもの。不健全な仕事です。

私は法事などではつい堰を切ったごとくおしゃべりをしたくなってしまいます。日頃ぼ~っとしていますから。

この支離滅裂ブログは寺ひきこもり坊主のボケ防止になっていますね。

 

息子の方はといえば横浜のお寺にてお世話になっています。

霊園付属のホールでの法要が多く時としてあっちこっちと飛び回っているようで「昼はどうするんだ?」と聞けばコンビニで購入して車中で済まして次の法事に行くなどといいます。

法衣のままでコンビニに入るなど私にはできませんのでそれだけでも驚きました。

 

コンビニどうこうはともかくとして外に出て動き回ってお給金を頂戴しているということもそうですが、まったく知らない初めての家中に飛び込んでいけるというのも平チャラの様。

ある意味ノー天気、「何とかなるさ」を受け継いでいるのかも知れません。

 

私どもの職種として主眼は聞き役としてなくてはならないのですが、人と接していなくては「耳」は無駄なものになります。

やはり奇異の目で見られがちな外の世界に身を投じ、耳をすましていれば自然にそれは聞こえてきましょう。

慣れ過ぎの図々しさは鼻につきますが。

 

皆さんはなかなか坊さんとのやり取りに有益どころか「面倒くさい」を思うようで・・・いやこれもまだまだ私の聞き手としての術がなっていないということなのでしょう。

とにかくこの不順続きの天候があけてから寺から脱出することばかり考えています。彼とは違う静謐の場の方にですが。

 

さて、昨日の光林寺の門前には妙法寺町の公民館集会所がありますが、その建屋の端の道路際に祠や石塔が見えます。

その建屋側に大き目の宝篋印塔が立っています(場所はこちら)。

あいにく相輪は欠けてしまっていますが大きさは約2メートル。塔身正面に阿弥陀さんが肉彫りされています。

私の嫌う例の前掛けが掛かっているということで、梵字ではない何かがあると思いきややはり「化身」でした。

 

この辺りでは地蔵・石仏と見れば前掛けを作ってそれをつけてあげることに注力される方が多いようで・・・、その気持ちはわかりますが私としては何も着けていない自然体を拝みたいというところがあります。

よって観察のために前掛けは一旦外させていただきました。

 

永仁参年(1295)の銘。

「吉田四郎次郎西円」という人が亡き人の供養のために建立したという意の記述が塔身の他の三面に記されているようです。