八日市妙法寺町は光林寺前身寺院名か? 美形宝篋印塔

まったく晴れ間を忘れてしまったお空ですが、昨日は雨が降らなかっただけマシ。

午前と夕方に先方ご自宅での法務がありましたが、幸いにも両家ともエアコンぎんぎん。たすかりました。

それでも雨で濡れたらそんな快適はありませんからね。

 

さて、ここのところ江州愛知川の右岸域について記してきましたが本日はその愛知川を渡ってみます。

愛知川左岸には鯰江上岸本の間の東近江大橋を渡ります。

そのまま直進すれば名神高速の八日市I.C.になりますがその手前で八風街道と交差しますのでそちらをその街道の起点とする武佐方向に右折します。

 

そしてスグの信号「八日市I.C.口西」を右折。

このあたりの地名は妙法寺町(八日市市)と呼びます。

ではパッと見その妙法寺があるかといえば見当たりません。

街区の中心部であろう公民館のある場所に光林寺というお寺があります(いつもと地図を変えて・・・場所はこちら)。

 

またも「光」が寺号に使用されていますがその光が「林」にくっついて阿弥陀さんを推測するのは「ちょっとこじつけ」かとも思いましたが・・・現場に行ってやはりご本尊は阿弥陀さんということが分かります。

尚、「林」といえば正信偈では「遊煩悩林現神通」(煩悩の林)の件がありますね。

 

そもそもこちらのお寺は天台宗ですが山号が「来迎山」門前の石柱にも「称名念仏」とあって刻まれた梵字はキリーク、阿弥陀如来でした。

そして寺の由緒といえば天正元年(1573)中興とあって古くは「妙法蓮華寺」といったそう。

ということで地名の妙法寺町の元はやはりこちらの光林寺だったということでしょう。

 

こちら光林寺の山門を入って境内右側に凛々しく立つのが美形の宝篋印塔。

何をもって宝篋印塔の良し悪しを伺うかといえば、まずは大きさと一見したところの隅飾りの立ち具合ですが、とりあえずは相輪が欠損ないことですね。

その辺りを含めて隅飾りの完存、笠上下の形状、塔身そしてレリーフ、彫りの残存、願主建碑年月の明示です。

 

こちらの宝篋印塔塔身は四面に金剛界四仏(東に阿閦 、南に宝生、西に阿弥陀、北に不空成就)の梵字が刻まれています。

隅飾りは輪郭付き三弧でここは手の抜きどころと思うところですが繊細。月輪を陽刻し八面とも梵字「ア」の彫りがあります。塔の高さ220㎝。

「願主藤井行剛 嘉元二二年三月廿四日(1306)」と(川勝政太郎氏)。

蛇足ですが周囲のお団子のように重ねた石塔はパーツ寄せ集めのように思います。