ニューヨーク・タイムズ電子版の記述で日本政府の記者会見の際に飛び出た「あなたに答える必要はない」が報道の自由を阻害していると。
時に「独裁政権の如く振る舞っている」との論評があったそう。
何とも高慢ちきで横暴な態度としか言いようがありません。
官房長官殿の記者対応だそうですが、人のよさそうな顔をしていますが心の狭さ、人の器の小ささを感じます。
まるでトランプの真似事のよう。
困ったものでお頭の短絡している政治家は大ボスの悪い所ばかり伝染してしまいます。
質問されて答えないでは会見の意味がまったくありませんし、政治家が国民に対して応えられないというのであれば民主主義の根幹にかかわる事ですからね。
まぁ応えにくいこと、都合の悪いことへの指摘を受けて、当人のムシの居所が悪かったのか本心が露呈、いわゆる「キレた」だけの感じ。
ああいう場で本心むき出しでキレることができるということが慢心の域に入っているということかもしれません。
「聞く耳を持たない」のは政治家として「恥ずべき事」だという論理がどこかに飛んで行ってしまったのでしょうか。
私は「仏罰」の存在について常々畏怖というものを感じていますが日本昔話的オチ風に言えば「聞く耳を持たないならいらねぇだろ」と言う具合に「耳」取られちゃったり、耳繋がりで特に「耳なし芳一」を思い出します。
それは子供の頃父親に聞かされて震えあがった思い出がありました。
「知らんぷり」はダメ、私は気を付けることの第一・・・。
さて、昨日ブログの岸本のつづき、下岸本の街区を。
日枝神社がなぜか二つ。町の中心にあたるのか5~6本の道が交差する地に一段高くなった場所が。そちらが御旅所の日枝神社。そこを起点に歩きだしました(場所はこちら)。
そちらからスグにもう一つの日枝神社(最後の画像)の間に大谷派のお寺「本正寺」と遭遇しました。
ここのところ阿弥陀さんを示唆する寺号のお寺を見てきましたが(宗旨は違いましたがすべてビンゴ !)こちらのお寺の名前を一瞬見ただけではその判断はできず石標を確認してから神妙になったわけでそれから本堂前に進み出て合掌しました。
創建は天正期と古く天台宗からの改宗のようですが、その山号寺号の由来は不詳。
「より多く聞く為 より少なく話す為
それが二つの耳と 一つの口」
有難さを感じましたね。
私の如く薄っぺらな人間というものはどうしても自分の意見ばかり言って他者の言を聞き流してしまいがち。
坊さんとしても致命的でもあります。
日々修正を誓っていますが・・・
お寺の扁額も古銭を並べて字を描いていました。初見です。
何事も耳・口にくわえてやはり目で見て確認することは必須です。
周辺墓地同様石仏たちのお出迎えもありました。
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