傘がない ~ 春雨に 停車場へ走る 浄瑠璃寺

昨日の午前中は意表をついていいお天気。

そこでお昼過ぎに喜んで出かければ午後から激しい雨になりました。

出先でしたので傘は無し、駐車場の車まで走りましたが久し振りにヤラれました。

最近は傘など持ち歩いた例がありませんので「傘の使い方を忘れた・・・」など先日記した通りです。

おそらくあの時のMy傘の出番は2~3年のブランクがあったかと思いますね。

特に私など沖縄に居た時は傘を持つという習慣はありませんでしたし。台風の時などまったく無意味ですから。

 

4月から社会人1年生となった息子に対し、私がまず注文を付けたのが「まともな傘を持て」でした。

使い捨てのビニール傘程度の急場しのぎでの対応はなにせ見た目として「みっともない」のではありますが、問題は「使い捨て」の心。

 

天気急変を心得ず傘を持たない不用心は私と同じですから、そのビニール傘が玄関に溜め置かれている様子を想像するにたえられず、ちょっと一言それを指摘したくなったのでした。

気の利いた洒落た傘ならば多少は値が張りましょうが、大切に扱うという気持ちも起こるというものです。

私の場合は電車通勤で、何本も忘れては悔しい思いをしてきましたが、彼の場合は徒歩(10分程度)の通勤ですからね。

 

100円かそこいらの格安ビニール傘の需要はおそらく甚だしい数に上っていてそれなりにその業界は潤っているのでしょうが問題はその素材「ビニール」でしょう。

それこそ今環境に負荷をかけているトップバッターですから。

それが雨が降るたびに社会に溢れ、色々なところにポイ捨てされている様子はどちらでもお見受けします。

拙寺本堂脇の傘立てにも埃をかぶったビニール傘が幾本か差さっています。

 

ところが最近、それをシェアしたり置き傘にしてまとめておいてその利用制限を緩くして貸し出す各施設、店舗が増えてきたといいます。「使い捨て」から「リユース」「リサイクル」の発想の変化で好ましい動きです。

借りたら丁寧に使用してしっかり返却するという習慣が環境負荷を減らす手助けになりますね。

 

さて、私も墓場放浪はじめ各地の名所旧跡歩きの際、どうしても天気の急変という場面に出くわすことがあります。

天気予報を事前に詳細吟味しての行脚であっても想定外の降雨はつきものです。

 

最近では春先に行った「当尾」(南山城)の浄瑠璃寺での突然の降雨には閉口させられました。

岩船寺の駐車場に車を置いてわらい仏の微笑(みしょう)を拝んでの浄瑠璃寺でしたが九体の阿弥陀如来(実際には修理中につき勢ぞろいなし)の収まる「九体阿弥陀堂」①を出た際(画像⑤)にその急変に気付いたのでした。

 

拝観受付の方に、「しばらくこちらで雨宿りを・・・」とお願いすると快諾していただき、「どちらまで?・・・」ということになりました。「岩船寺に車を・・・」といえば「それなら」と「あと数分ほどで岩船寺行のバスが来る」との情報を得たわけです。

 

そしてうれしいことに「それならバス停までコレをどうぞ」と指された方向を見やればビニール傘が収まる傘立てが。

借りた傘はバス停の売店に返すというルールでした。

勿論私がその傘を借りたことは言うまでもないこと。

 

「都会では自殺する若者が増えている~」の衝撃的な歌詞で始まる「傘がない」というフレーズを表記記しましたが、やはり年齢がバレるというもの。

あの浄瑠璃寺からの帰りは何よりも「傘がない」ことは私のあの時の一大事でした。

 

⑥傘を借りることができ喜び勇んでバス停へ向かいながらも阿弥陀仏が居並ぶ阿弥陀堂を振り返るの図。

南無阿弥陀仏の感謝して退去しました。

 

②ここへきて初めて知りましたが浄瑠璃寺の山号は「小田原山」それを見ても感動させられました。

神奈川県小田原生まれの私にはあまりにも馴染んだ文字列ですからね。