椿井来由記 「懐旧」 利休屋敷 堺 

昨日の土曜日は法事なし。

境内には松の木が3本ありますが(クロマツ2本とアカマツ)、この時期の松の手入れといえば「ミドリ摘み」。

どちらの松もそう大きいものではありませんので大層な苦労とは思いませんが、結構に時間を費やす地道な作業になります。

 

ということで、例年通りぼちぼちのんびりと親鸞聖人像前のアカマツから取りつきました。

当然にお日様の下にいるわけですが2時間ほどで飽きました。

 

アカマツのある場所はお参りの方たちと一番近い位置ですので時に世間話等弾んで手が止まってしまいますね。

そこに「住職」という文字の謂れが隠れていると実感しますね。クロネコ舞鶴が題材になることもあって、境内でネコと遊ぶ・・・「寺に居る」ことであってそれだけで私は意味があったと勝手に解釈した次第です。

しかしながら「やっと会えた」「この間は居なかった」という声もあって「ぐしゃん」とやられています。

まぁこの分ではミドリ摘みが全部終わるのには10日はかかるような・・・

 

境内から庫裏に入ると西日の直射で室内30℃。

テーブルの脇にはまだストーブが片づけられないままに放置されていますが、風呂に入ったあとテレビのチャンネルは相撲でヒートアップ。たまらずに扇風機を引っ張り出しました。

既に外は涼しくなっているというのに・・・冬寒く夏暑い庫裏。

エアコンもまだ掃除していないのに・・・

 

さてチャンネルはそのままでいつものブラタモリは「堺」でした。先日は陵墓群のユネスコの世界遺産指定についてブログにて記しましたがその番組でも紹介されていた、千利休屋敷跡について。以前はお墓参りの図でした。

 

あくまでも伝承ではありますが、ビルの立ち並ぶ空間があってそちらの井戸が利休が産湯に浸かったといわれています。

その井を「椿井」なる名で呼ぶそうですが「椿井来由記」と看板に記されていました。

「この地は、江戸後期から明治中期までこの場所で酒造業を営んでいた加賀田太郎兵衛が居住していた場所 ~ 加賀田翁が居士を偲んで利休好みの茶室を建て大徳寺の大綱和尚を迎えて茶室開きをしたとき和尚は昔を懐かしむ心の茶室の銘として「懐旧」と名付け利休居士にちなむ茶蹟とした」とのこと。