一見首を傾げること 一乗谷 歴史の妙を思うところ

一昨日、奥の墓道氏を送ろうと小雨交じりの150号線に出れば前を走っていたバスがコンビニの手前でストップ、動かなくなりました。

その直前の車がコンビニに右折しようとして直進車とごっつんこして、車線を塞いでしまっていたのです。

 

バスの運転手はお手上げ状態で本部らしきところに遅延を連絡していました。右折しようとした車は大破してエンジンは不動でした。

タイヤハウスにタイヤがめり込んでしまって前にも後ろにも移動できない状態でしたので「現場維持の鉄則」など「知るもんか」の勢いで居合わせた男衆数人(私の後続車)と墓道氏も加わって力任せに押し出してコンビニ駐車場に。両車線とも開通させました。

今時車載カメラがあるでしょうし両ドライバーともしっかりしていましたので全然OKでしょう。

 

右折車の方の女性はピンピンしていましたしエアバックの開いた直進車の男性は「胸が痛い」とは言っていましたが「救急車はいらない」とのことで警察の判断にお任せすることで現場をあとにしました。

 

車中双方の「過失割合」について盛り上がりましたが8-2いや、6-4くらいまでなるかも・・・というところで話はお終い。

右折時のタイミングと直進車の前方不注意が問われるところ。

何しろ交通事故は相手があることですし、ちょっとしたタイミングのズレで起こってしまいます。

 

「奥の細道氏」は「お前の周りには事故トラブルが多い」とは言いますがそれはそれでヘルプ役として適宜率先して手伝うことは私の性分。

ただしこの手の件ばかりは他人様の手を借りるのは避けたいところ。安全運転でいきたいですね。

 

さて、表記あの地、朝倉一乗谷にあって「一見首を傾げること」とはハッキリ言って真宗寺院がそこにあることです。

その名も一乗山浄覚寺(本願寺派)ですね。

 

真宗系の寺院は「北陸にはいくらでもある」のは当たり前でまったく不思議ではないとは思われるでしょうが、こちらは一乗谷、朝倉氏が繁栄した北陸の小京都とまで言われた地です。

その朝倉氏と本願寺とは当初から犬猿の仲で加賀一向一揆勢とは長期にわたって紛争を繰り広げていました。

余談ですが朝倉氏が早いうちから一向一揆と和睦し、本願寺と協調体制を結ぶことができていればもう少し信長を困らせることができたのでは・・・

 

よってその地に真宗の教えが入り込む余地はないと考えるのが私の思うところなのですが、実際はしっかりと真宗の教えが浸透しているようで墓地を散策すれば「南無阿弥陀仏」のオンパレードです。

まぁ六字の名号があったとしても真宗に限ったことではありませんが、法名の「釋(尼)〇〇」を見てその存在の多さを感じることができました。

 

これは一乗谷が天正元年(1573)に信長の手によって一瞬のうちに灰燼に帰することになるワケですが、これは人も物も離散あるいは殺され焼かれて街そのものがリセットされてしまったということ。

よってそれ以降にこの浄覚寺が「復興」を旗頭にこちらに入ったという事ですね。

 

今一つ「歴史の妙」を感じるのはこの寺の山号が「一乗山」であり本堂の屋根を見上げれば寺紋として朝倉家の家紋「三盛木瓜」が・・・そして何より11代続くそちらの住職の苗字が「朝倉さん」なのでした。

頭の中が混乱してきますが、その件お寺の伝承では信長による侵攻直前に多くの縁者たちが一乗谷を退いて全国に散っていき、信長時代の終焉とともに江戸期にかけて一乗谷にあった朝倉家の南陽寺(朝倉家の子女が専ら入る寺)・・・こちらは朝倉義景が足利義昭を招いて花見を催したと伝わります・・・にいた方が真宗寺院に改め創建したといわれています。

同時に「朝倉」の名跡も残したということですね。

 

①は一乗城から顔を出したお日様。②急激な温度の上昇がわかります。

城館のある側から一乗川を挟んで向こう岸は寺院と墓地のエリアが広がります。まだまだあの辺りには石塔が埋まっているはずですね。

浄覚寺は一乗城側に位置しますので朝日が当たるのは遅めになります。