蕉園「夾掛記」掛け軸 修復完成 忘れない3.11

昨日もウグイスは来てくれました。

これからの季節を満喫したいものです。

やっとこさ寒い冬を乗り切って「さぁ」という気分にさせてくれますね。

これといった目標はありませんが・・・

 

よる9時になってテレビをON。

NHKの「取り残された被災者」の件、視聴しました。登場する皆さんの言葉の端々に切実さが伝わっていました。

東日本大震災から8年が経過し、大概の津波で住処を失った被災者は「何とかなっている」と遠い地に住まう私たちは思いがち。しかし現実は違っていました。

 

ポイントは国の支援の物差しが「家があるかないか」重視になっているため、充分な支援が受けられる人と受けられない人に分かれるということですね。

 

たとえば津波で全壊した場合は話が早くまずは「避難所」に入れますね。その後は仮設住宅→公営住宅という流れによって「住処」が得られるという段取りです。

ところが津波や地震に被災してもカタチとして家が残ったとすると避難所に行ったとしても仕舞いには「貴方は家があるだろう」となるワケですね。

半壊程度で1階が水に浸かって多少壊れたとしても「2階があるだろう」というのがその大概の論理。

避難所にはボランティアの援助も期待できますし、財政的支援も期待できますが、「自分の家」があるということで拒絶されるのかも。

 

家が無残にも流されてしまった方からすれば少しでも残っていれば「万々歳」ではないかという雰囲気も漂っているのかもしれませんね。

ところが津波で家屋の1階部分が洗われたとしたら殆ど住居としての躰を失っているのです。

床が腐り、穴の開いた壁。

あの寒い冬を過ごすことなどあり得ないでしょう。

半壊の家にも資金的援助はありますが(最大で258万円)その少ない額で家を住める状態には戻せるワケがありませんがそれを「在宅被災者の自助努力」と呼ぶそうです。

努力が生き甲斐に繋がらなくなったら喪失感だけが浮き彫りになるでしょう。

 

また公営住宅に入れたとしても住民自治として住民同士が入居者を把握しきれないといいます。要はコミュニティが増幅できないという支障があり増える孤独死(2018年は76人)にも対応ができないよう。

それを解消しようと住民たちが立ち上がったとしても自治体は個人情報につきどこの誰だか教えられないと。

 

積み上げられた原発汚染土の解消についても酷いものです。

当初は福島以外での処理が約束されていたそう。

ただしどちらにも国の考える「お人よし」はいませんでした。「鼻つまみモノ」のそれを「私のところへ」と許容する場所が名乗り出るはずもなく・・・。

 

ということでフクシマの高速道路に埋設するという案が出ているのですが、地元反対者からは「そんなに安全を主張するならばオリンピックのトーキョーに使ったら・・・」と。

まったくもってもっともなお話です。

そもそもあれはトーキョーの電気をまかなう施設だったのですからね。

 

とにもかくにも先進国と胸を張る日本において今も最低レベルの生活を強いられて夢も希望も見いだせないという人たちがいるということは忘れてはいけませんし、いつ何時私たちもそれと同じようなことになっても不思議ではない現実の存在を心得ておく必要がありますね。

自分がそういう目にあって初めてその「切実」がわかるという点も人の愚かしさでもあります。自分の事として考えることが大事ですが、まずは国のそれら被災者救援のスタンスを修正していただきたいと思います。

 

さて、当家累代の墓石の脇には小島蕉園が記した当家の由来について彫られていますが、壊した土蔵の中からも数点「掘り出し物」があったことを去年の夏以降記していました。

3点ほど修復に出していましたがこのほど完成、しわくちゃだらけで虫食いがありましたがキレイになって帰ってきました。

これは残されて出会えたご縁に感謝しこれからも残していきたいという私の意思表示でもあります。

 

本日は「夾掛記」を再記。

段取りがあって掛け軸の修復には最低2か月はかかるそうでした。去年の12月に出したものでした。

 

夾挂記

「夾挂(はさみがけ)は書画幅を挟みて壁に掛ける之具也

其製は小班の竹は尺餘の者二枚を修し、共に劈き(さき)片と為し、合わせて以て幅を挟み、以て上下の軸に充てる

又別に其稍大きな者は下を修し節を以て端と為す、諸片を冠し

之を相合せ両頭は緩緊相適す、之をして輙ち脱するを得ざらしむ、但し上の両片共に其中央より左右に

小孔を鑿うち(のみうち)、之を廣す、廣は両片に跨り、

孔を穿ち裏に五分許(ばかり)入れ、頭を折り之を糊して

紙を粘り之を蓋う、外面は左右の廣を引き、廣は邪に四維を為す、又片より三寸許り

上に之を年り、結びて花容と為す、廣は伏する者二つ、出づる者二つ、出づる者は迺ち、壁之環と為し、伏する者出る者併せて四つ、而して其実は二つ也

二つの者は一つ伏一つ出而、一は又二者と為す、左右を以て相跨ぎ、環と為す也

板倉俊卿は嘗て書画を嗜む、積年致す所蓋し数十幅矣

或は已に裱装(表装)し、或は未だ裱装せず

若し意に従い欲する所の費は亦少なからず

然りと雖ども蠹魚(しみ)の腹に充てるも亦忍びざる所也

因て一器を制す

嗚呼俊卿は費出を省く斯工夫を好む奇と謂べき矣當に其瀹茗(やくみょう・・煮茶)

圍煙日代挟を以て之を挂け己を暢し之を供人之覧に懐く

豈不斎中之一韻事(いんじ・・風流)也哉

余一見而心之を欲せんとす廼ち(すなわち)其手の煩を請け因て斯く作し記す之の為謝して云う

 

文政八年歳次乙酉夏六月初吉

              蕉園左人波津官舎にて書く」