初公開 小島蕉園が記したDIYについて 夾掛記

昨朝も雷雨で叩き起こされました。

連日の騒々しい朝となりましたがそれはまさに早朝だけ。

明るくなればケロッと雨も雷もやんで日常の活動には支障はありません。

法務に動いた両日でしたので思いのほかこの天候のパターンには感動しました。おかげさまです。

 

台風21号の進路はいよいよ紀伊半島から大阪湾へという様相となり当地相良からすれば比較的離れた場所で胸を撫でおろしていますが直撃とその進路西側直近に住まう方々は重大な危機感でもって対応していただきたいところです。

進路によっては甚大な被害を想定すべき厄介者でうまいことやりすごさなくてはなりません。

 

さて、既報の通り拙寺の土蔵を壊して新たに物置を設置する事になったわけです。

8月末はその中身の片付けに追われていました。まだまだ続きますが晴れの日待ちです。

 

あの土蔵に入って片付けを行った4名(私と奥方と息子とその友人)ですが、何故か部外者を除く当家3人には共通する症状が発しています。それは気管支炎系の症状で特に奥方はゴホゴホと咳こむようになりました。

 

私も「発声」に違和感あって嫌な感じですが、奥方は「悪いモノを吸わされた」と怒り心頭に発しています。

ただの埃だから・・・とは言うものの「ほぼ100年(あるいはそれ以上)の封印を解いた」感もあってそういった「悪いモノ」も有りうるかとも思いましたがあくまでも奥方の言い分はたくさんの歴代縁者の遺物を目の当たりにしていますので古来我が国の風習「うわなりうち」的怨念を連想しているようでした。

 

ただし「うわなり」とは違いますね。しかし代々の「妻たち」の気持ちの詰まった蔵を整理するのは気分が良くなかったのかも。

当奥方は当然ながら一番に新しく嫁いできてただこの家をガッチリ仕切っているだけの話であってそれはごく普通のことですからねぇ。

これは先日「うわなりうち」を題材にした衝撃的な図画を見たからでしょうか・・・④青森慈眼寺蔵。

 

さて、「お宝お宝」と興味本位の檀家さんに「お宝はない」との返答のみしかしていませんでしたが、実は無数の「お宝」が発見されたというのもご報告の通り。

もっともその価値は金銀財宝といった財貨ではなく文書と研究資料といった範疇で「金めのモノ」ではないでしょうね。

 

これまで蕉園渉筆に紹介されている「板倉」に関して3点ほどブログアップしてきましたが本日の掛け軸はまったくの初公開で世に出ていなかった代物だと思います。

勿論「渉筆」には掲載されていません。

世に蕉園の研究家が居るのか居ないのか私は存じ上げませんが小島蕉園の記したこちらに関してはまったくの初見でしょうね①②③。いわゆる「蔵出し」というヤツ。ちなみに先日の蕉園はコレ

 

それでは代官小島蕉園が文政八年(1825)1825に波津官舎にて記した「夾掛記」を。

 

夾挂挟書画幅掛壁之具也其製小斑竹條尺餘者二枚共劈為片合以挟幅以充於上下軸矣又別其梢大者修下分以節為端冠諸片相合之両頭緩急相適令之輙脱但上両片共自其中央而左右鑿小孔廣之廣子両片穿孔入裏五六分折頭糊之粘紙蓋之外面引左右々邪為四維又自片三寸許上年之結為花容、廣伏者二、出者二、出者迺為掛壁之環、伏者出者併四、而其実則二也、二者一伏一出而一又為二者、以左右相跨、為環也、是板倉俊卿所携隅嘗嗜書画、歌詩積年所致蓋数十幅矣、或已裱褙、或未裱褙、若従意所欲費亦不少、雖然充蠹魚之腹亦所不忍也、因有此製云嗚呼俊卿省費出斯好工夫可謂奇矣當其瀹茗圍煙日代挟以挂之暢己之懐供人之覧豈不斎中之一韻事也哉余一見而心欲之廼請煩其手因作斯記為之謝云文政八年歳次乙酉夏六月初吉

               蕉園左人書于波津官舎

 

前半は書画の「夾掛」<書画幅を挟みて壁に掛ける之具也>。

蕉園の考えた工作についてです。

「板倉俊卿は嘗て書画を嗜む、積年致す所蓋し数十幅矣」

 

書画がたくさんあって、いちいち表装していたらおカネがいくらあっても足りないということ。またそれ放置していたら・・・

<然りと雖ども蠹魚(しみ)の腹に充てるも亦忍びざる所也、因て一器を制す>ということです。

私の叔父は表具師に依頼してその工作を試作してもらうと意気込んでいます。

たしかそれと同じようなものはどちらかの土産屋(手拭いを装丁する竹細工)で見たことがあったような・・・