相良資料館緞帳 蕉園渉筆 相良氏古墟埋木の久保氏 

朝方だけですが二日続けてのウグイスの鳴き声はうれしいサプライズです。

昨日の如く建物を喰い荒らす連中の襲来は困りますが春の訪れを告げる者たちの境内への来訪は歓迎したいところです。

これからどんどん上手になってその美声を聞かせてください。

 

先日は菊川の紀元前40年の松の発見に当たり「草木国土悉皆成仏」なる語を記しましたが元は涅槃経からです。

成仏のところが仏心とか仏性に代わる事がありますが、あらゆる生き物はじめ無機的なものにでさえ仏性が宿るということですね。

そういう意味からするとシロアリやキクイムシにも仏性というものがあるわけでしてまぁ勝手な事を言っている人間があるワケです。

 

都合よく記させていただけば、ここで「どんなものにも仏性がある」論を抱いて主張すれば、結局は「この私も仏性がある」を展開できますし、浄土に向かうことは間違いないと確信できるのです。

 

そのような卑屈を言い出したらキリがありませんが、この言葉は人というものを謙虚にさせる素晴らしい言葉ですね。

今散見されるお手柄自慢の慢心政治屋などは別として大抵の人の場合は「悪性とんでもない私」に気づいて他の事物、事象、生き物に対してまずは敬意を払うということです。

その精神こそ日本の仏教の精神だと思います。

まったく明治維新というものがその日本人の本来の心を壊してしまったのだとここでもまた思い起こしてしまいました。

 

さて、小島蕉園の蕉園渉筆から。

その短い文書のタイトルは「相良氏古墟埋木」です。

上記菊川に見た古木と同様、古き時代の建造物の柱の事を言っています。

 

それでは文書から。

 

相良郷二十四、鎌倉氏時、蓋相良太郎食邑云、徳村其一也

邑民浚田間小渠、獲一断橛於土中、傳云、建久年、太郎由㕝移

于肥後州人吉、距今六百年有餘年矣、意、断橛當時宮材也、而毫無腐朽、黒澤如漆、堅実如鐡、敲之鏗尓有響、同邑窪清名

頗好事、請而得之、携来索記、乃為拙文畀之、割愛恵少許

作筆架、置于机上、古色可玩、実六百年以外也

 

相良郷二十四は、鎌倉氏の時、蓋し相良太郎の食邑と云う

徳村は其一つ也、邑民は田間の小渠を浚う

土中に一断橛を獲する

傳に云う、建久(四)年、太郎事に由り肥後州人吉に移る

今を距つ六百年有餘年矣、意うに、断橛は當時の宮材也

而して毫も腐朽無し、黒澤は漆の如し、堅実は鐡の如し

之を敲き鏗爾として響き有り

同邑の窪清名は頗る事を好む、請うて之を得る、携来りて記を索む乃ち拙文之を畀える

割愛し少許り恵む、筆架を作り、机上に置く、古色玩ぶべし

実に六百年以外也

 

※食邑しょくゆう―知行所 断橛だんけつ―切株 

 太郎―相良太郎 由㕝―理由あって 意に―おもうに 

 毫も―少しも 黒澤―黒い光沢 敲き―たたき 鏗―うつ 

 窪清名―久保清 索―もとむ 畀―あたえる

 

相良徳村(現大沢口井原)にて村民たちが溝の土をさらっていると黒光りする切株が出てきたと。

蕉園はこれはかつて人吉に下向した当地の地頭相良太郎時代の

遺構と推測しました。

地元の久保清名なる文人がそれについて何か記せというので記したこととちゃっかりその材を切り取ってもらって筆架(筆掛け)を作ったというお話です。

蕉園はその古き歴史を手に取って楽しんだことが記されています。

それにしてもその筆架はともかく「切株」はどちらにあるのでしょう。出てきた正確な位置も知りたいところです。

 

徳村は相良川(現萩間川)沿いの平地にあたります。

現在の地番としては「大沢」になりますね(場所はこのあたり)。

 

相良長頼の相良館推定地は対岸ではありますがさほど遠くない場所になりますね。ただし川の流れに関しては現在の位置とは違うということは念頭に入れて置かなくてはなりません。

 

蕉園の文書にある「窪」=「久保」氏は各相良にいらっしゃいますがその件、直接その家に繋がるかはわかりません。

関連推測としては以前成瀬大域の軸「思無邪」~おもいは よこしま なし~で記しています。

 

そして今一つ、思い出しました。

相良資料館2階の緞帳です。

田沼意次が相良大沢方向を望む図です。

園村の久保家の屋敷と称してポツンと1件だけ描かれています。

園村は徳村の西にあたり、原の上までを言います。

蕉園渉筆でも園村の正福寺についても記していました。

 

この緞帳の田沼の立ち位置が徳村だったとも聞いたことがあります。

かつての久保家が田沼時代の絵やその後の代官小島蕉園の文書にまで登場するほどの名家であったことがわかりますね。

 

最後の画像2枚は賑やかし。

私のスマホの待ち受け画面。

若冲の動植綵絵は相国寺に元あったことはブログでも記していますが(手放すことになったのは明治の廃仏毀釈による寺の困窮)仏教の「山川草木悉皆成仏」「一切衆生悉有仏性」の精神にのっとって描かれたといいますね。

 

私はその「老松白鳳図」が1番のお気に入りですが、この図は猪目(♡型)だらけという点が特徴的。実はこの猪目こそが仏性であり「仏が常に私を見ている」ことを描いているのだと勝手に思っています。

本日の画像はすべて二度目の登場でした。