相国寺-薩摩藩邸-新島襄の流れ 同志社建築物

大須賀郷土研究会のみなさまご苦労様でした。

昨日は相良への「歴史ツアー」の企画があり、たくさんの皆さんに拙寺本堂にお参りいただきました。

 

一昨日の如くの陽気ではなく肌寒さを感じましたが大須賀地区の真宗のお寺の檀家さんもいらして有難くも熱心に私のつまらない話を聞いていただきました。

皆さんの目的は西尾家寄進の相良城櫓太鼓ほか田沼相良城廃却のいろいろでしたが、先日も記しました通り、次に向かう相良油田の石坂周造の借用書について「勝手に」おしゃべり・・・、さぞかし閉口されたのではと思います。

いいご縁をいただきありがとうございました。

 

さて、同志社大学構内ブラつきの続き。

烏丸通に面した門の脇に石柱があります。

薩摩藩邸址を記していますが、薩摩藩が相国寺から借り受けたとあります。

二本松薩摩藩邸と呼ばれていますが元々は錦東洞院の藩邸があってそちらが手狭になったため文久二年にこちらに進出したのでした。

薩長による同盟が画策された場所と言われています。

 

明治に入ってその所有が会津藩の山本覚馬と変わり新島襄のキリスト教をベースにした理念に傾倒して土地を手放したといいます。

 

構内歩けば地上には明治期の西洋建築に目が留まります。

地下はといえば鹿苑院の遺構が。

 

※北海道震度6弱の再びの地震、お見舞い申し上げます。夜間の揺れは不安です。電車も止まっていましたが今回は電気通信の復旧は早かったようです。ただし今後(余震活発化)が気がかりです。